ボサノヴァ界の重鎮
ブラジル発祥の音楽ボサノヴァ。
ボサノヴァを語る上で、偉大なJoão (ジョアン)が二人います。
ひとりはギタリストで歌手のJoão Gilberto(ジョアン・ジルベルト)
もうひとりがピアニストで作曲家のJoão Donato(ジョアン・ドナート)
1930年代生まれの二人は年も近く共演歴もあり、ボサノヴァの隆盛と共にアメリカで成功を収める。
二人のJoãoは奇人・変人ぶりでも同じように凄かったらしい。
ささやくような歌い方は発明
ジョアン・ジルベルトは作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンとボサノヴァの創始者と言われている。
小声でささやくように歌う歌い方はジョアン・ジルベルトの発明だ。
ボサノヴァが流行ったのは1950年代後半〜1964年位の5〜6年が最盛期だったと言われていて、私が生まれた頃に流行っていた音楽だからなのか大好きなジャンル。
ボサノヴァの創始者がジョアン・ジルベルトだとすると、ボサノヴァを現代の音楽として進化させ完成させたのはジョアン・ドナートだと言えると思う。
ジョビンと違ってヴォーカルを取ることをすごく嫌がっていたドナート。
四十路を前に周りが強引にマイクスタンドに向かわせたところ、いい枯れ具合と温かみのある味わい深い歌声でジルベルトとは違う完成度の高いアルバムになっている。
ただ、奇人変人ぶりがたたりレコード会社もプロモーターも関わらなくなっていて、いわば干された状況だった。
1995年、60歳を過ぎたドナートを小野リサがアルバム『Saudade』で彼の作品をフューチャーし共演もして製作。
5〜6年前にニューアルバムをリリースしたり、80歳を過ぎても現役バリバリの生きる伝説ミュージシャンだった。2020年に来日する予定だったがコロナ禍で延期に・・・。
ボサノヴァ界の偉大な二人のJoão、奇しくも同じ88歳の夏に逝去。
R.I.P
夏の大祓の日に聴きたい1枚
気温の割に不快度の高い、雨が降り出す前の蒸し蒸し・ジメジメ。
こんな日には清涼感のある音楽を聴いていたい。
何にしようかと思いながらMacの中のiTunesを見ていたら、きれいな夏の緑葉が印象的なこのジャケットが目に止まった。
The Green Leaves Of Summer / Hampton Hawes (1964.2.17 LA Recordings)
男前がきっちりしたスーツを着て、涼しい目でこっちを見ている
ちょうど我がマンションのイチジクの木に実が付き始めている写真と色味がよく似ている。(ピーマンのように見えるイチジク)
タイトルはSummerでもレコーディングはWinter。
なのに、ジャケット&タイトル通りの清々しく、弾いているのが楽しげで歯切れのいいプレイで、全体に清涼感もあってこの季節にピリタツ。
メンバーは
ハンプトン・ホーズ(P)
モンク・モンゴメリー(B)
スティーブ・エリントン(Dr)
ハンプトン・ホーズは1928年LA出身のピアニスト。
このアルバムは1964年2月17日 私が1歳になった頃にLAでレコーディングされている。
アマチュア時代はGHQの一員。日本のジャズクラブに飛び入り参加!
彼はデビュー前、GHQの一員として日本に駐在していたそうで、当時日本にあったジャズ・クラブにしばしば出没していたそう。戦後すぐにジャズ・クラブがあったのも驚きだがデビュー前のHawesが飛び入り参加していたことは日本のジャズ・ファンの間では伝説的に語り継がれていたようだ。
兵役を終えてプロデビュー
兵役を終えアメリカに帰国し本格的にプロデビュー。
1950年代は売れっ子だったが、当時のジャズミュージシャンにありがちな麻薬所持で1958年服役。
このアルバムは5年間刑務所にいて、釈放後すぐのレコーディング。
刑務所で観た映画「アラモの砦」のテーマ曲「The Green Leaves Of Summer」をジャズ風に料理しようと思っていたようだが、元曲はBrothers Fourの歌唱のフォーク・ソングやウェスタン系。したがってジャズアレンジは難しいように思うが、叙情性を発揮したイントロから素晴らしいプレイを聴かせてくれる。
元曲はコレ
ちなみに、この曲をジャズアレンジでプレイしてる人は少なくて、このアルバムのベース、モンク・モンゴメリーの弟 ウエス・モンゴメリーの名前があるのが面白い。
縁は異なもの味なもの である
45年前に発売された名曲2つ
2023年に入り24節気の立春・雨水を過ぎてもまだ寒い日がグズグズと続いてます。
長期予報通り今年は寒い冬だったようです。
2月23日の天皇誕生日も、まだ今ひとつ馴染めない。昭和のオッサンにとっては天皇誕生日は4月29日で覚えてたし、12月23日にようやく慣れたと思ったら今度は2月。
新しい天皇誕生日に変わる頃には寿命が尽きているような気がする今日この頃。
記憶に残るキャンディーズ、記録に残るピンク・レディー
人気絶頂だったキャンディーズが1977年の夏、日比谷野音でコンサート中に突然
「私たち9月に解散します、普通の女の子に戻りたいんです」と宣言。
当時は社会的に大騒ぎになった。
あの時代、よく事務所や周りの大人達が怒らずにちゃんと話を聞いてあげて引退に向けて動いてあげたと思う。昔も今も、売れたアーティストに親族が群がり喰い物にしていくという話を聞いたりしていたので、子供ながらにこの対応はスゴイなと思ってた。
76年にデビューしたピンクレディーがヒットチャートを席巻し、チャートや売上枚数はピンクレディー > キャンディーズとなっていたが、個人的に音楽的にはキャンディーズ > ピンクレディーだと思っていた。
ファン層も大学生辺りがキャンディーズ、小学生がピンクレディーだった。
そんな中で1978年2月に発売されたキャンディーズのラストシングル「微笑がえし」
歌詞の中に「春一番」「罠」「アン・ドゥ・トロワ」というヒットシングルのタイトルが入っていたり、振り付けでも「年下の男の子」「やさしい悪魔」「ハートのエースが出てこない」の印象に残る振りが取り入れられていて、いかにもラストシングルらしい遊びが散りばめられていた曲。この曲の作詞は阿木耀子。
いま聴いてもサビを3人が替わって歌っていてソロ・パートがなくユニゾンやコーラスで構成されてキャンディーズらしさが詰まったいい曲だと思う。
作曲家の穂口雄右氏のアイデアで、この曲のレコーディングは初見で行われたそうだ。
謎が解けた曲のタイトル
この時代、もう1曲気になる曲がある。山口百恵「プレイバック Part2」
まず、プレイバックの意味がレコーディング用語で、録音したものを再生するという意味で使われる言葉で、オーディオでも使ってたが、こんな専門的な言葉をアイドル曲のタイトルに使った上にPart2とか意味不明だった。
この曲で史上最年少の19歳でこの年(1978年)の『NHK紅白歌合戦』で紅組のトリを務めた。
この曲はNHKが歌詞の「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」と言い換えて歌わせたり、「勝手にしやがれ 出ていくんだろう」が沢田研二「勝手にしやがれ」にケンカを売ったのだとかが有名な話だがもっと面白い話があった。
たった1曲のために費やされた異常なほどの情熱と労力。
まず、タイトルはプロデューサーの酒井政利氏が「プレイバック」というタイトルで曲のイメージを
“ケロケロってテープの音が戻るような曲、あとは考えてください”
というムチャ振りされたスタッフが、苦し紛れに
“主人公が以前聞いた言葉がフィード・バックしてくる歌”
という企画にまとめ、阿木燿子に作詞を依頼。
その後、馬飼野康二と宇崎竜童に作曲を依頼した。
Part1は馬飼野康二、Part2が宇崎竜童が作曲し、シングルは宇崎版が採用されたが、
レコーディング前日に、まだ物足りないからと酒井氏は作り直しを依頼。
酒井氏のあまりのムチャ振りに阿木燿子が怒り心頭になって書いた一言が「馬鹿にしないでよ」というフレーズで、追い込まれてようやくひねり出した難産の賜物。
なんと一晩で書き直したのが「プレイバック Part2」だそうだ。
あの曲の女性が不機嫌なのはこういう経緯があったかららしい。
レコーディングも驚異的な突貫工事だったようで、この辺りの事が詳細に書かれている本が図書館で借りられる事がわかり予約中。
印象的なギターは矢島賢。ブレイク後のギターは一度聴いたら忘れられない名演奏。
「馬鹿にしないでよ」「坊やいったい何を教わって来たの」「私だって疲れるわ」…と、攻撃力溢れるフレーズが続くのは阿木さんから酒井氏への捨て台詞だと思えば作詞家らしい仕返しだ。
音楽にもテレビ・ラジオにもこれぐらいイカれたプロデューサーがゴロゴロいたようだけど、今はおとなしい人ばっかりになった気がする。
阿久悠を始め、作詞家の睨み合いにも似た作品のぶつかり合いが後世の残る作品を生み出していたんだろうと思う。
異常なまでのこだわりや情熱や労力、集中力など令和の時代には不要なのかもしれないが、こういうマグマのようなものが無くなってしまったから、つまらなくなったのかもしれない。
昭和歌謡を調べもしない社会学者たちがado「うっせぇわ」が配信チャート1位になり流行語大賞に選ばれたときに「若い女性が怒りをあらわにしてヒットした曲はコレが初!」なんてわかったようなことを言っていて笑ってしまった。
言い切るならもっと勉強せ〜よ〜。
2023年1月、小学校の修学旅行以来で行ってみた「二見ヶ浦」
行ってみたら覚えていたはずの現場の景色と全然違っていて驚いた。
浜から見ていた記憶だったけれど、こんなにに狭かった? と思うほど狭い境内から見ていたようだ。
ポン酢・ポンズ・ぽん酢・ぽんず 私的ポン酢考察。
もうすぐ3年になるコロナ禍。ワクチンを射っても射っても感染者数は減らず、1日3〜4万人の感染者数が当たり前になってきた。そろそろ第8波に向けて各地で感染者数が増え始めている。
10月に入り気温がグッと下がってきたので、いよいよ鍋の季節。
温かい鍋を食べて自己免疫力を上げていれば感染もしないような気がしてくる。
日没の時間が早くなってくると、夕餉のメニューに迷ったら簡単で美味しくて温まる鍋になることが多くなる。
向田邦子さんが好きだったことで有名な『常夜鍋』
定番はきのこや野菜に、タラやカワハギを入れたり鶏肉を入れたりする具だくさんな湯豆腐。最近良くやるようになったのが常夜鍋。
常夜鍋とは“毎晩食べても飽きない鍋”という意味で、鍋に昆布をいれて水とそれ以上の量の日本酒を入れ豚肉、ほうれんそうをしゃぶしゃぶのようにさっと煮てポン酢で食べる。薄揚げを入れても抜群に合う。
最近、日本酒の代わりに焼酎(芋)で試したら、香ばしい香りで日本酒以上においしいと思ったので最近は焼酎を入れることが多い。
常夜鍋が大好きだった向田邦子さんは、自宅に編集者を招いて豚肉とほうれん草だけの常夜鍋をふるまわれたそうで、向田さんはポン酢ではなく醤油にレモンを絞り入れたツユで食べるスタイルだったそうだが、我が家はポン酢。
鍋の主役はポン酢!?
約60年の人生の中で、少なくとも50年に渡ってポン酢はたくさん試してきた。
ポン酢を広めた立役者とも言えるミツカンの味ポンからマニアックな黒門のふぐ屋・太政のポン酢まで、おいしいと聞けばひとまず買って試してみるというのを繰り返し、何十何百というポン酢を味わってきたと思う。
スーパーや百貨店の商品棚には数多のポン酢が並んでいるし、旅先でも見たことのないポン酢をよく見かける。地域ポン酢で黒門ポン酢や谷町ポン酢とか、とにかく日本人、特に関西人はポン酢が好きな人種のようだ。
ここに2本のポン酢があり、どちらも我が家の常備ポン酢である。
試して試して結局常備置いておきたいと思ったポン酢はこの2本。
左は「勝貴屋のぽん酢」で、右側が有名な「旭ポンズ」
酸 味 旭ポンズ > 勝貴屋のぽん酢
出汁感 勝貴屋のぽん酢 > 旭ポンズ
値 段 勝貴屋のぽん酢 > 旭ポンズ 瓶の小さい勝貴屋のぽん酢の方が高い。
原材料も似てるようで、かなり違う内容になっている。
関西のポン酢界のレジェンド・旭ポンズがなければ勝貴屋のぽん酢は生まれなかった? (知らんけど)
関西ではポン酢界のレジェンドといえば、八尾の旭ポンズ。
ラベルに“完全味付”と記されていて自信の程が感じられる。
もともとは“ふぐ提灯”で有名な新世界「づぼらや」の常連客だった先代が、「てっさ」や「てっちり」に使われていた「づぼらやのポン酢」に惚れ込み、この味を家でも楽しめるようにと味をパクって作られたのが「旭ポンズ」
先代は「うどん・そばの出汁の素」を作っていたので、カツオやイワシの混合節をベースにして柑橘類の種類や配合を1年かけて一人で研究し、試作を繰り返して材料の配分を調整し完成させたそうだ。
スダチとユズは香りも酸味も強く値段も高いので「づぼらや」の味に近づけるとすごく高い商品になってしまう。そこで、当時は商品価値の低かった酢みかんと呼ばれていた「ユコウ」を多め入れることで原価が下がった。
旭ポンズの凄さは、誰も使わなかったユコウに目をつけたところだ。
ユコウは徳島県などで自然交雑によって生まれたユズの変種らしく、古くから知られていたが商品としては価値がないとされて捨てられていた。香りはユズに似ているが果汁の味に締りがなくボケた感じで少し苦味もあるのでなんにも使いようがなかった。ただ皮はユズより薄く加工がしやすく果肉はレモンのようにタップリ詰まっている。
安価で果汁がたっぷり「ユコウ」には酸味は少ないが爽やかな風味があり、スダチとユズを支えて、かすかな苦味がいいアクセントにもなって旭ポンズは大ヒットした。
今ではユコウは幻の柑橘類とか言いように言われているが、昭和の時代には誰も見向きもしなかった。
やしきたかじん氏が「八尾にメッチャうまいポン酢がある。旭ポンズというポン酢や!」とラジオ・テレビで言い始めて一気に人気商品になったが「市販のポンズ(旭ポンズ)は酸っぱすぎて苦手」という奥さんの声をもとに、ダンナさんが試行錯誤して完成させたのが勝貴屋のぽん酢。(もともとは酒屋さんだったらしい)
原材料は2種類の醤油1つはたまり醤油を使って、柑橘にユズとダイダイ。他にはカツオ・サバ・ムロアジ・昆布・椎茸。
原材料費が高くなり旭ポンズよりも値段は高くなったが、まろやかな酸味と出汁感が強くこちらも完全味付け的な美味しさ。
今でもご夫婦で作られているので平野区まで買いに行かないとなかなかお目にかかれない幻のぽん酢のように言われている。
この2本の使い分けは厳密にコレには旭ポンズ、コレには勝貴屋のぽん酢と決められてはない。鍋の種類や、刺し身やなまこに使ったりするときもその日の気分次第。
たまには合わてみたりしながらこの2本を楽しんでいる。
番外ポン酢、そのまま飲めるおいしさ。(真似したらあかんよ)
もう一つ加えてポン酢3銃士とするなら、七味・山椒で有名な堺の和風香辛料の老舗・堺 やまつ辻田の「実生柚子ぽん酢」を加えたい。
ほかにも候補は「ひろたのぽんず」など色々とあるが、やまつ辻田の「実生柚子ぽん酢」は辻田氏が「えぇ材料しか使ってません」と言い切る材料で作られている。
兵庫・龍野 末廣醤油の本醸造醤油
京都の出汁専門店 うね乃の出汁
など、こだわりまくった材料に高知・北川村の実生柚子の絞り汁をタップリと使っているので、ぽん酢をそのまま飲めるくらいおいしい。
360mlに100mlの実生柚子の絞り汁が入っているそうで、そのせいもあって値段も1080円と高めだ。
ただ、このポン酢、おいしすぎて鍋で使うとすぐに薄まってもったいないのと、期間限定商品なのでいつもあるとは限らないので、常備ポン酢としては上の2つになる。
「実生柚子ぽん酢」蒸した野菜や焼き魚、刺し身や肉をつけて食べたりすると最強だ。
干物にかけると臭みが消えて魚の旨味が引き立つのだそう。
ポン酢は海外旅行の必需品
いっぱい飲んできたポン酢だけれど、酸味・甘味・旨味・塩味に香りが調和された万能調味料だと思う。
ちょっとイキってニューヨークのグランドセントラル駅の地下に有名なオイスターバーでの想い出話。
グランド・セントラル・オイスター・バー&レストラン 公式サイト - Grand Central Oyster Bar & Restaurant Tokyo
もう創業100年を超えてると思うが、牡蠣はそんなに好きじゃないけれど、店の雰囲気が最高なのと、お試しセットなら7〜8種の牡蠣がもられたプレートが14ドルくらいだったので、かれこれ10回以上は行っているはずだ。
就職前に息子と一緒に行ったときもここを訪ねた。
牡蠣を味わうよりも、この場所にいることが幸せな感じがするような特別な場所。
個人的には牡蠣よりもボストン・クラムチャウダーが好き。
店の一角に世界中の牡蠣が並べられていて、お好みの地域や種類の牡蠣をオーダーもできるし、盛り合わせのように頼むことも出来、かっこいいニューヨーカーがたちが白ワインを片手に牡蠣にレモンを絞ってケチャップ(チリソース?)のようなソースを付けたりしながら食べていたので真似てみたところ、あまりの不味さにのけぞった。
アルミホイルを噛み締めたような感じがした。
牡蠣と白ワインも全くダメだったし、ケチャップやチリソースなど全くダメで、心の底から「ポン酢」がない世界とはこんなに不味いものなのかと痛感。
この体験から海外旅行に行くときには必ずポン酢を持参する。
オイスターバーに行くとき2回目以降は必ず持参し、ポン酢で食べた牡蠣は美味しかった。日本酒があればもっといいけど、ワインは懲り懲りなのでビールをチョイス。
今となってはピーティーなウイスキーを牡蠣に垂らしながらでもいけそうだ。
万能調味料なポン酢は牡蠣だけではなく、魚にも肉にも使えるので海外に行くときの必需品。
ポン酢がなかったら寂しい食卓になってただろうなと思う還暦前のおっさんでした。
ポン酢・ポンズ・ぽん酢・ぽんず 私的ポン酢考察。
もうすぐ3年になるコロナ禍。ワクチンを射っても射っても感染者数は減らず、1日3〜4万人の感染者数が当たり前になってきた。そろそろ第8波に向けて各地で感染者数が増え始めている。
10月に入り気温がグッと下がってきたので、いよいよ鍋の季節。
温かい鍋を食べて自己免疫力を上げていれば感染もしないような気がしてくる。
日没の時間が早くなってくると、夕餉のメニューに迷ったら簡単で美味しくて温まる鍋になることが多くなる。
向田邦子さんが好きだったことで有名な『常夜鍋』
定番はきのこや野菜に、タラやカワハギを入れたり鶏肉を入れたりする具だくさんな湯豆腐。最近良くやるようになったのが常夜鍋。
常夜鍋とは“毎晩食べても飽きない鍋”という意味で、鍋に昆布をいれて水とそれ以上の量の日本酒を入れ豚肉、ほうれんそうをしゃぶしゃぶのようにさっと煮てポン酢で食べる。薄揚げを入れても抜群に合う。
最近、日本酒の代わりに焼酎(芋)で試したら、香ばしい香りで日本酒以上においしいと思ったので最近は焼酎を入れることが多い。
鍋の主役はポン酢!?
向田邦子さんは自宅に編集者を招いて豚肉とほうれん草だけの常夜鍋をふるまわれたそうで、向田さんはポン酢ではなく醤油にレモンを絞り入れたツユで食べるスタイルだったそうだが、我が家はポン酢。
スーパーや百貨店の商品棚には数多のポン酢が並んでいるし、旅先でも見たことのないポン酢をよく見かける。地域ポン酢で黒門ポン酢や谷町ポン酢とか、とにかく日本人特に関西人はポン酢が好きな人種のようだ。
ここに2本のポン酢があり、どちらも我が家の常備ポン酢である。
左は「勝貴屋のぽん酢」で、右側が有名な「旭ポンズ」
酸 味 旭ポンズ > 勝貴屋のぽん酢
出汁感 勝貴屋のぽん酢 > 旭ポンズ
値 段 勝貴屋のぽん酢 > 旭ポンズ 瓶の小さい勝貴屋のぽん酢の方が高い。
原材料も似てるようで、かなり違う内容になっている。
関西のポン酢界のレジェンド・旭ポンズがなければ勝貴屋のぽん酢は生まれなかった? (知らんけど)
関西ではポン酢界のレジェンド八尾の旭ポンズ。
ラベルに“完全味付”と記されていて自信の程が感じられる。
もともとは“ふぐ提灯”で有名な新世界「づぼらや」の常連客だった先代が、「てっさ」や「てっちり」に使われていた「づぼらやのポン酢」に惚れ込み、この味を家でも楽しめるようにと味をパクって作られたのが「旭ポンズ」
先代は「うどん・そばの出汁の素」を作っていたので、カツオやイワシの混合節をベースにして柑橘類の種類や配合を1年かけて一人で研究し、試作を繰り返して材料の配分を調整し完成させたそうだ。
スダチとユズは香りも酸味も強く値段も高いので「づぼらや」の味に近づけるとすごく高い商品になってしまう。そこで、当時は商品価値の低かった酢みかんと呼ばれていた「ユコウ」を多め入れることで原価が下がった。
旭ポンズの凄さは、誰も使わなかったユコウに目をつけたところだ。
ユコウは徳島県などで自然交雑によって生まれたユズの変種らしく、古くから知られていたが商品としては価値がないとされて捨てられていた。香りはユズに似ているが果汁の味に締りがなくボケた感じで少し苦味もあるのでなんにも使いようがなかった。ただ皮はユズより薄く加工がしやすく果肉はレモンのようにタップリ詰まっている。
安価で果汁がたっぷり「ユコウ」には酸味は少ないが爽やかな風味があり、スダチとユズを支えて、かすかな苦味がいいアクセントにもなって旭ポンズは大ヒットした。
今ではユコウは幻の柑橘類とか言いように言われているが、昭和の時代には誰も見向きもしなかった。
やしきたかじん氏が「八尾にメッチャうまいポン酢がある。旭ポンズというポン酢や!」とラジオ・テレビで言い始めて一気に人気商品になったが「市販のポンズ(旭ポンズ)は酸っぱすぎて苦手」という奥さんの声をもとに、ダンナさんが試行錯誤して完成させたのが勝貴屋のぽん酢。(もともとは酒屋さんだったらしい)
原材料は2種類の醤油1つはたまり醤油を使って、柑橘にユズとダイダイ。他にはカツオ・サバ・ムロアジ・昆布・椎茸。
原材料費が高くなり旭ポンズよりも値段は高くなったが、まろやかな酸味と出汁感が強くこちらも完全味付け的な美味しさ。
今でもご夫婦で作られているので平野区まで買いに行かないとなかなかお目にかかれない幻のぽん酢のように言われている。
鍋の種類や、その日の気分。たまには合わてみたりしながらこの2本を楽しんでいる。
番外ポン酢、そのまま飲めるおいしさ。
もう一つ加えてポン酢3銃士とするなら、七味・山椒で有名な堺の和風香辛料の老舗・堺 やまつ辻田の「実生柚子ぽん酢」を加えたい。
ほかにも候補は「ひろたのぽんず」など色々とあるが、やまつ辻田の「実生柚子ぽん酢」は辻田氏が「えぇ材料しか使ってません」と言い切る材料で作られている。
兵庫・龍野 末廣醤油の本醸造醤油
京都の出汁専門店 うね乃の出汁
など、こだわりまくった材料に高知・北川村の実生柚子の絞り汁をタップリと使っているので、ぽん酢をそのまま飲めるくらいおいしい。
360mlに100mlの実生柚子の絞り汁が入っているそうで、そのせいもあって値段も1080円と高めだ。
ただ、このポン酢、おいしすぎて鍋で使うとすぐに薄まってもったいないのと、期間限定商品なのでいつもあるとは限らないので、常備ポン酢としては上の2つになる。
「実生柚子ぽん酢」蒸した野菜や焼き魚、刺し身や肉をつけて食べたりすると最強だ。
干物にかけると臭みが消えて魚の旨味が引き立つのだそう。
いっぱい飲んできたポン酢だけれど、酸味・甘味・旨味・塩味