2021年4月11日 今朝の1枚
寒くもなく、暑くもなく 本当に気持ちのいい季節。
マスターズで松山選手が単独トップの大活躍、寝不足が続きそう。
花も咲き誇り、何故かウキウキ気分の4月です。
そんな気分の今朝の1枚は
HORACE SILVER『SONG FOR MY FATHER』 1964年10月31日録音
ブラジルへの旅の経験からインスパイア
ジャケットが地味なので、パッとしないアルバムに思われがちだがファンキー・ジャズの超名盤。
ジャケットには、シルヴァーがタイトル曲の「Song For My Father」を捧げた父ジョン・タヴァレス・シルヴァ (John Tavares Silva) の写真が用いられている。
心斎橋のJAZZ喫茶でもよくかかっていた。
西インド諸島出身の父親に捧げたファンキーなタイトル曲「Song For My Father」は、哀愁のあるキャッチーなメロディとボッサ・リズムが印象的な傑作チューン。
トランペットC.Jones、テナーJ.Hendersonの2管がユニゾンで絡むメロディは一度聴くと忘れられない。
レコーディング前に訪れたブラジルでの経験からインスパイアされたはずで、エキゾチックなラテン曲としてブラジリアン・ジャズの名曲の1つとも言われている。
ジャズ史上屈指の名作曲家
ファンキー・ジャズを代表する名ピアニストであり、ジャズ史上屈指の名作曲家でもあるホレス・シルヴァー。
1964年と言えばジャズは難解なフリー・ジャズ路線か、ロックよりなファンキー・ジャズ路線と、完全に二分化してしまった時期。ファンキー・ジャズと言っても、盟友アート・ブレイキーの「Moanin'」が「蕎麦屋の出前持が口笛で吹いた」というような気軽さではなく、父の影響もあってのラテンの風味が少し入っているところが洗練されてる感じがする。
昭和30年代、当時のジャズはカッコいい時代を代表する音楽だったようで、この当時はヒット曲がJAZZだった。このあとビートルズが登場して、ポップ・ミュージックはジャズからロックへと主役が変わっていく。
天才的なプレイをする人ではなかったけど、メリハリの効いたピアノプレイと、シンコペーションが独特の味を持ったフレーズが特徴的で、プレイヤーとしての評価よりも作曲家としての評価が高い。
静かで知的に調和の取れた穏やかな演奏は、ソロで主張しまくる演奏の多いジャズ界においては珍しく、モダン・ジャズ会では極めて稀なメロディメーカーでもあったので、多くのスタンダード曲を遺してくれた。
2021年4月4日 今朝の1枚
4月に入り新年度がスタート。
私はというと長年の管理職から けっこう自由な身分になり 残り少ない社会人人生をどう過ごそうか模索し始めたところ。
やりたいことを、必死に模索していた20代後半。
そんな気分中で、何かやりたいことを必死に模索していた20代後半の頃に出会ったアルバムが
United Future Organization『JAZZIN’』
東京に転勤して3~4年経ち、ラジオ局に行き皿を回してもらい(押曲をかけてもらう)何回廻してもらえたか。ゲスト枠を何番組獲ってきたかという数字を問われる日々だった。
想像していた仕事でもないし、楽しくもない日々が続いていた。
大学を卒業する頃から始まったバブル景気が最高潮に差し掛かった1989年。
ディスコではなく芝浦に倉庫を改造して造られた「クラブ」の元祖とも言えるゴールドがオープンした。当時の記事によると1Fがエントランス、2~4Fがダンスフロア。5Fがバーで7Fがレストランとなっていてビル全体で遊べ、ダンスフロアで流れるハウス・サウンドもかっこよく、音質も良かった記憶がある。
入り口で服装チェックで差別される有名ディスコを嫌った、カッコ良い人・時代の最先端を言ってる人たちが集まってるようで、2~3度訪れたが、日本に居て世界の最先端的なシーンを体感しているように感じた。
踊るジャズ、いわゆるアシッドジャズとの出会い。
その頃に出会ったのが“踊るジャズ=クラブ・ジャズ”いわゆるアシッドジャズだった。おぼろげに、こういう音楽を仕事で扱えるような仕事がいいな~と思いながらも、手がかりもないまま日々が過ぎていく。
91年に西麻布にYELLOWというクラブがオープン。
この頃になると、ニューミュージックをプロモーションしてる場合じゃない。クラブ・ジャズをやりたいと思い、YELLOWでイベントをしていたU.F.O(United Future Organization)を観に行った。矢部直、ラファエルセバーグ、松浦俊夫という三人のDJからなるユニットで、日本のクラブシーンにジャズを持ち込んだパイオニア的存在。
このシーンが好きな同僚と一緒に彼らにアポを取り、一緒にやりたいと話をしに行った。テーブルの上で足を組まれて話を聞かれ、けんもほろろにあしらわれた(そりゃそうだ)。
ワールドワイドで評価をされつつあった彼らは、ドメスティック市場でニューミュージックしかレパートリーのないA&Rの会社を選ぶはずもなかったが、その頃はとにかく新しいことがしたかった。
無茶を承知で話に行った我々に、予想外にも京都にMONDO GROSSOというバンドが居るから彼らのところへ行ったら!? という情報をくれた。その後彼らにアポを取り京都のメトロというクラブに行き彼らはその後デビューに向けて行動をともにすることになっていく。
(この辺りのことはまたの機会に)
彼らの代表曲「Loud Minority」
初めてこの曲を聴いたときに電気が流れ、PVを観た時は衝撃が走った。いまでもテンションを上げたいときには聴いたりする。
話に行ったときに矢部氏がフロッピーディスクの塊を持ちながら、「この中にレコードからカッコいいと思うフレーズを凄い数入れてあり、このデータを再構築してドンドン曲を作っていきますよ。今でも毎日数十枚のレコードを聴きながら溜め続けてるんで」と語ってた。
今までの音楽感がガラッと変わる瞬間を見た気がした。
彼らはDJなので、楽器を演奏しない。レコードからおいしいフレーズを流用(サンプリング)し、それを再構築して新たな楽曲を製作。
各曲のイイトコ取りで、作られている。
それまでのジャズファンやジャズ評論家には理解し難い行為だったけど、間違いなく、これが90年代以降のジャズの表現方法の一つになり、いまでは世界で最も人気のある音楽ジャンル(HipHop~クラブミュージック)の重要な手法の一つ。
「Loud Minority」サンプリングのデータは
イントロ部分はミシェル・ルグランの「LA PASIONARIA」
ホーンアンサンブルのカッコよさは筆舌に尽くしがたい。
トランペット部分はアートブレイキーの「Night in Tunisia」のタイトル曲からリー・モーガンのトランペット・ソロブレイク部分もサンプリング(9′02″~)
パーカッションのリズムはモンゴサンタマリアの「Dirty Willie」から
この頃サンプリングは賛否があって、パクリだとか再構築で新しい価値を見出すとかリスペクトとかオマージュなんていう便利な言葉もよく使われた。
フレーズを生み出す演奏のセンスではなく、フレーズを組み合わせるチョイスのセンス。
1993年にはブルーノートの音源を自由にサンプリングすることを公式に認められ、「ヒップ・ホップ・ジャズ」というジャンルを確立させたグループが「Us3」。イギリスのDJ、ジェフ・ウィルキンソンとエンジニアのメル・シンプソンによって創設されたジャズ・ラップ・グループ。
彼らのファーストアルバム『Hand on the Torch』(和訳“伝統を後世に伝える”)
このアルバムの1曲目が「Cantaloop (Flip Fantasia)」
ハービー・ハンコックのアルバム『Empyrean Isles』の『Cantaloupe Island』をサンプルした超有名曲でクラブジャズを聴かない人でも、この曲は聴いたことあるんじゃないか。
クラブジャズの歴史を切り開いたとも言える世界的大ヒット・アルバムだが、この曲以外はパッとしない残念なアルバムではある。
2021年3月28日 今朝の1枚
早くも桜が満開になり、日に日に陽射しが力強くなってきています。
年が明けたなと思っていたら、アッという間に3月も終わろうとしています。とにかく3月は忙しかったので、しばらく更新できませんでした。
今朝はあいにくの雨模様。花々を散らすまでには至らないくらいの雨だと思います。
何も考えず、縛られるものをすべて捨て去り、心のゆらぎに身を任せればいい。
このアルバムに入っている曲「Peace Piece」をこの様に表現した人がいる。とにかく美しい曲で、その美しさをそのままズバリと言葉にされていた。
『Everybody Digs Bill Evans』BILL EVANS 1958年12月15日録音
ジャズがまだ黒人音楽だった1950年代後半、白人ミュージシャンとしてジャズ・シーンに登場したのがビル・エヴァンス。
彼の奏でる音楽は、それまでの黒人っぽい”ソウルやスイングとは異なり、洗練されていて、とても優美だった。
今日のような静かな雨の日には「Peace Piece」がとても似合う気がする。
Bill Evans "Peace Piece"
Complete Transcription: Bill Evans - Peace Piece
2つのシンプルなコード(Cmaj7→G9sus4)の永遠とも思える反復。自由自在に絵を描くように奏でられるフレーズは、まるで印象派の絵画を見ているようで静寂さは特筆すべき美的。
当時のバップ全盛時にはかなりアヴァンギャルドな曲だったはず。
クラシックで似ていると言われるのが、エリック・サティの「ジムノペディ 第1番」まるでこの曲の続きを演奏したかのよう。
ビル・エヴァンス、売出し中のアルバム。
レコード会社のリバーサイドは、どうしてもこのアルバムを売りたかったんだろう。大物ミュージシャンの推薦文がジャケットを埋め尽くす“全面広告”になっている。
「ビル・エヴァンスからはたしかに多くのことを学んだ。彼はピアノが演奏されるべきやり方でピアノを演奏する」(マイルス・デイビス)
・「ビル・エヴァンスはここ数年でいちばん気持ちのよいピアニストだ」(ジョージ・シアリング)
・「ビル・エヴァンスは屈指の存在の一人だと思う」(アーマッド・ジャマル)
・「ビル・エヴァンスには類い稀なオリジナリティとテイストがあるが,さらにすごいのは曲に対する構想を練る力で,彼が演奏すると,それがその曲の最終形と思わせるものがある」(ジュリアン・キャノンボール・アダレイ)
ビル・エヴァンスと言えば1961年に録音された『Waltz for Debby』で人気を決定的にしたが、多分このアルバムを録音しているときは、ミュージシャンズ・ミュージシャンで一般にはまださほど人気がなかったのではないか。
そうじゃないとビル・エヴァンスが目の前で演奏しているのに、食器はガチャガチャ、しゃべり声もけっこうな音量で録音されているはずがない。
今となっては、この辺りのノイズまでもが『Waltz for Debby』の魅力になっていて、1曲目の'My Foolish・・'のEの音をエヴァンスが弾いた瞬間から、気分はビレッジ・ヴァンガードにワープ。
これほどまでに生の演奏感・空気感を録音できたアルバムはないという評価になるのだが、何が功を奏すかわからないものだ。
ビル・エヴァンスの伝記映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』に「Peace Piece 」の解説シーンがあった。
映画館でも観たけどDVDでも見直してみよう。
2021年3月7日 今朝の1枚
三寒四温、よく言ったもので初夏らしい日もあるし、一気に寒くなったり 体調管理が難しい時期です。
そんな中、花は春を先取りして早くも満開になっている樹もあります。
64年前の19歳、貫禄の演奏が聴ける。
JAZZのトランペットというと、アイドルのようなルックスと歌声もカッコよかったチェット・ベイカー、ミュートを効かせたCOOLな演奏の帝王マイルス・デイビス、機関銃のようなパンチのある演奏のディジー・ガレスピー、優しい音色のアート・ファーマーなど色々なスタイルがあるが、春の陽射しに似合いそうなストレートな演奏が清々しいリー・モーガンの1枚。
LEE MORGAN『CANDY』1957年11月、1958年2月 RVG stで録音
ナット・キング・コールのバラードを少しアップテンポにアレンジした「CANDY」から始まり、19歳がプレイしているとは思えないみずみずしく、ウキウキさせてくれる ごきげんな演奏が全編を通して聴ける。まさに神童とはこういう人のことをいうのだと思い知らされるアルバムだ。
JAZZは難しくて よくわからないという人にこそ聴いてもらいたい。
ジャケット写真も素晴らしい。
Amazon Prime会員なら特典でストリーミングで聴けるし、MP3ならアルバムを300円で購入できます。
思い込み
この花を見て、大きく開いた花びらと花の大きさからシャクヤクだと思いこみ、花の咲いているマンション内の菜園に来た人に話をしていたら、この花は「ツバキ」ですよと教えられた。
よく見ると蕾も葉もツバキです。勝手にシャクヤクだと思いこんでいたアホなオッサンでした。
花の見分けも難しいですが、思い込みよりダメなのは決めつけ。
それも根拠のない「思い込みの決めつけ」が一番タチが悪い。
このお店をどう思いますか?
昭和にタイムスリップしたかのようなイキ フン チリ バツの看板と暖簾。(なぜ「ノレン」と言うんでしょう? こんど調べよう)
野田阪神の商店街の外れにある昭和20年創業の大衆酒場です。
店内はこんな感じ。
ある美味しい物好きの人に教えてもらって何度か行ってますが、想像しているような客層は少なく、カップル連れや美味しい物好きのサラリーマン、OLさんが半分以上を占めます。
理由はつまみコスパがあり得ないくらいに高いから。
興味のない人にとっては、見向きもしないでしょうし、ましてや入ろうなんて思わないんでしょう。
でも入ってみないとわからないこともあるし、私の場合は知り合いの「この店はエグいよ」という一言で難なく壁を超えて暖簾をくぐれました。
夕方からカウンターの中に入る若主人が元フレンチシェフという経歴とか、お出汁もしっかりとってあるし、そこらにある小綺麗な小料理屋の3分の1以下で食べられる。調理はほとんどカウンターの中でされるので、オムレツを頼むとフレンチの手法でフライパンの取っ手をトントンと叩きながら綺麗にまとめていく様を見ることが出来る(多分そのトントン技も見れて300円だったと思う)
近くに住む有名なイタリアン・シェフにこの店を知ってる? と聞くと、イタリアからシェフの友人がが来たら、中央市場とこのお店に連れてくるそうだ。イタリアの人は思い込みも何もないので、素直にどこかで連れて行ってもらった高級な日本食レストランよりも美味しいといって喜び、日本は本当に良い国だと言ってくれるという。散々食べさせてもお財布に優しいから大好き❗ と言って笑ってた。
テレビでは視聴者層が13〜49歳をターゲットにした新しい指標をもとに広告を・・・ とか言ってるけど、いくら分析しても「思い込み」と「決めつけ」にしか思えない。
もし、そんなことを計算できるのなら、なぜ賢そうな人たちの考えた番組はみんなの共感を得ないのだろう。弱った人を追い込むような番組ばかりが幅を利かせるのだろう。そういう番組を見たい人がターゲットなのだろうか?
心が動く作品は、絵画でも映画でも音楽でもテレビでも数値化できるはずがないのに。
思い込まず 決めつけず、様子を見てわかることがある。
冒頭の お多福の外観を見ていきなり「美味しそう」とは思はないと思うけど、そこに少しストーリーが加わると「あり得ないくらい良い店」という評価をされる店になる。
日常の中にはそういうことがとても多い。
怖い顔した優しい人、すごい美人で意地悪な人。若そうに見えるお爺さんとか、楽しそうな家庭なのに深刻な悩みがあったり・・・
60歳を前にして、思い込まず 決めつけず を実践していきたいものです。