私のオーディオ&バイト履歴。
私のオーディオ歴のスタートは、小学生時代にオヤジから譲ってもらったTRIOの真空管レシーバー。型番はWX-320で1965年頃に発売されたもので、当時の価格で定価39,900円。いま思えば結構な高額商品。
真空管6BM8を4本使ったプッシュプル構成で、出力は12W。
レシーバーとはFM,AMラジオ+アンプという構成で、初めてちゃんと聴くFM番組から聴こえてくる音の良さに感動。
同じように電波に乗ってくる音なのに、AMとFMではこんなにも音が違うのかと驚き「音質」の違いを知る。
(メーカーではレシーバーとは言わず、オートマティックAM-FMマルチ・ステレオ・トライアンプと言われてます)
友達の部屋にはラックにカッコよく収まった「コンポ」があって、1台でチューナーもアンプも入っているレシーバーが、当時はちょっと貧相に感じてました。
(ちなみにスピーカーはノーブランドの安くて小さいの。)
レシーバーにはヘッドホン端子もついていたし、初めて「ラウドネス・コントロール」という機能を知ったりと、毎日毎日よくいじって聴いてました。
次に手に入れたのが中学の入学祝いに親戚のおじさんに買ってもらったPIONEERのレコードプレーヤー。
ダイレクト・ドライブ(DD)なんて超~高かったので、ベルト・ドライブの本当にシンプルなプレーヤーで、大事にするあまりダストカバーの上にバンダナを置いたりしてました。
中学の頃にこのプレーヤーで聴いてたのは、友達から借りてきた
「スカイ・ハイ」ジグソー
「サタデー・ナイト」ベイ・シティ・ローラーズ
黒沢年男も聴いてたはず。
LPなんて高くて買えないし、EPはすぐ聴き終わるし、お姉ちゃんのいる友達から借りてきたLPを聴いてることが多かった。
この頃強烈に欲しかったのが、レシーバーで聴くFMから好きな曲が録音できる「ラジカセ」。
番組を知りたくて買ってたFMレコパルでオーディオに興味を持ち始め、買いもしないのに電気屋に行ってはコンポのカタログを集めたりし始めた。あの頃のカタログはカッコよかったし、夢が詰まってた気がする。
中2になって、友だちが教えてくれたBOSTON「幻想飛行」に出逢い、ここで「音色」に目覚める。
どうしたらこんな音が出るのか、何の知識もなかったので、友達と一緒に天王寺のアポロに入っていた三木楽器にLPを持参し「こんな音出すのはどうしたらいいか」を聞きに行った。
丸坊主の少年二人を前に、エフェクターについて丁寧に教えてくれた店員さん。でも、何のことかちんぷんかんぷんな少年二人は「それ幾らします? 1万円で買えます??」とか、
今から思えば無茶苦茶な会話でしたが、怒りもせずに「もうチョットお年玉貯めてからまたおいで、もっとええのが出るかもしれへんし」と大人な回答をしてくれたのを覚えてます。
ようやく「音質・音色」に目覚め、カッコいい音楽は「洋楽」という思い込みだけで音楽を聴くようになった。
今から思えばこの頃、邦楽をもっと聴いておけばよかったと思うけど、歌番組には「シクラメンのかほり」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「22才の別れ」「我が良き友よ」「昭和枯れすすき」「心のこり」がゴッタに放送されていて、その中からマイ・オールド・スクールを辿って聴くような事ができるはずもなく、教えてくれる人もおらず洋楽=カッコいいが単純でわかりやすかった。
そんな中でも洋楽以外でCharだけは別格にカッコいいと思ってた。
Charが「ムスタングはチョーキングしてもチューニングが狂わない」と言っていたのを覚えてます。
(当時は意味があんまり良くわかってなかったけど)
高校に入り、BOSTONの友人と軽音楽部を見学に行くとCharの「逆光線」を完璧に弾いている人がいて、とてもじゃないがレベルが違いすぎると思いスタコラ退散。後で判明したのは、このギタリストは当時レイジーの高崎晃だった。
軽音楽部には入らなかったけど、クラスにはポール・マッカートニーのキ○ガ○がいて、一緒にバンドを始めた頃から聴くだけではなくプレイやコーラスワークにも耳が行くようになった。
暇さえあればアレンジや元ネタとかの話をしたり、梅田の東通り商店街にあったLPコーナーにブートレッグを買いに行ったり、フィルムコンサートに行ったりしていた。
資金は昼ご飯代を貯めたり、土・日は友達数人でバイクに乗ってアート引越センターの日雇いバイトに行ったり、コンサートの会場警備をしながら捻出した。
引っ越しのバイトは朝早く行くと遠方の1件だけで日当がもらえ、上手く行けばご祝儀も出るし、移動が長いので寝てる時間が長くて効率が良かったのでよく行った。時間が遅くなると近場の市内の仕事になって、多いときには2~3箇所廻らされるし、単身の引っ越しだと祝儀も出ないので、市内の仕事になりそうなときは帰ってきた。
コンサート警備では、沖田浩之の最前列で両手を広げてステージに登らせないようにするのに、腹や足を蹴られて結構大変な思いをした。その割に紹介するやつの中抜きが酷くて、大したバイト代にはならなかった。
そんなバイト生活を送る中、1日中音楽を聴きながら音質について語っていたらいいバイトとして、ニノミヤ無線に行くことになっていった。
この時はお客さんに説明するという名目で、毎週毎に店の中で色々な機器の聴き比べができたし、ビルが揺れるくらいの音も出せたし、本当に楽しいバイトだった。当時オーディオ界が激震した120万円のプリアンプ(マークレビンソン)やマッキントッシュ、SAE、マランツ、JBL、ALTEC、EMT、AGI、SONY、LUX・・・国内外の一流品を毎週・毎週とっかえひっかえ本当にいっぱい聞けた。
いま家に残したメインのオーディオは、ほとんどがこの当時に買ったもの。
毎週超一流の機材で何度も聴いていると、こんな音も入ってるのかと驚くほどの発見もあったし、まるでそこに人が居るような「定位」という概念も知ることになる。
同じ作品でもレコードにはプレスのいいものとそうでない物が存在する事や、一流の機器だけ揃えても音が良くなるわけでもないことも教えてもらった。
今から思えば、この頃はよく聴き分けられる耳をしていたんだろうと思う。
そんな週末毎に勉強以外の成長を重ねながら、大学に進みバイト生活は音楽方面に収斂していく事になりました。