1周廻ってコダワリ目線

ある意味、逆にピンポン。

ギョウカイでバイトを始めた。

1981年に大学に入学したことで、ニノミヤ無線で週末にやってたLUXMANのヘルパーのバイトも終了。

 

そのあとは、オーディオの先生が始めた事業の手伝いなんかもした後、1982年の年末にアルバイト雑誌で偶然見つけたレコード会社・CBSソニー大阪営業所のバイト募集に応募し面接の上で合格?(採用)

多分春休みからバイトに通い始めた。

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CBSソニーの営業所の中は、何故か基本は東京弁で会話が交わされていて、最初はそれだけでチョットしたテレビで見たギョウカイ気分。

CBSソニーの営業所は7大都市にあり、ほとんどの社員は東京採用・支社配属 だったのでみんな東京弁だった。

 

言葉をヒックリ返す業界用語も日常的に当り前に使われていて、面白いからすぐに染まる。英単語は覚えられないのに、この手の面白いのはすぐ覚える → 使いたがる。

 

チョット偉い人の事をみんなが「ジンケさん」と呼んでいた。

てっきり名字だと思って何の疑いもなく、若造のバイトも「ジンケさん」と呼んでいたら、ある人から

「バイトのお前がジンケさんて呼ぶのはダメだと思うよ」

と言われて、

「?? じゃぁ、何てお呼びするんですか?」って聞いたら、

「名字のSS木さんで」と言われた。

 「ジンケ」は「健二」のギョウカイ呼びだった。

 そんなんワカルか~~〜〜い。遠くを見て心のなかで叫んだ。

 

またある日の夕方、部長から「トリハツ居なかった?」と聞かれて、

「トリハツ??」と聞き直したら

「服部だよバ~カ」と言われた。

これまた心のなかで「知らんがなボケッ」と思いながら、

ハットリ → トリハツ そうか、小さい「ッ」は大きい「ツ」にしてひっくり返すのか。コレは大事だ、メモ・メモ・・・、という具合でギョウカイに染まっていく。

 

バイト仲間にはオシャレなY村くん、チョット先輩のサーファーの近Dくん。

いままでオーディオ方面にしか興味がなかったので、二人からはバイトの事だけでなく洋服や髪型。異性の話や美味しい店、面白い飲み屋の話や、宣伝部の人が夜廻りと称してサンプル盤を配りに行くディスコ・キャンペーンの話など華やかな話を聞いたりした。

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夜廻りにはスナックキャンペーンというのもあって、演歌系はコッチで駅弁の販売器ようなのを首にぶら下げて、演歌歌手の人と一緒にスナックを練り歩くというドブ板営業的なのもあった。

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ギョウカイ初心者にとっては、どっちも面白かった

 

ウォークマンが発売され音楽を聴く環境が激変した時期だった。

毎日毎日が面白いし楽しいし、学校に行ってるどころではなかった。

この年はあまりにもバイトに明け暮れすぎて、学校にも殆ど行かなかったので留年するはめになった。