雨にまつわる曲 #2
「雨」を題材にした曲が多いのは、イギリス好きが影響 !?
「雨の街を」1972年
「12月の雨」1974年
「雨のステイション」1975年
「天気雨」1976年
と、荒井由実 時代からタイトルに「雨」が付いている曲が多い。
その中でも、初期作品の「雨の街を」は、改めていま聴いても本当に素晴らしい曲だと思う。
♬ 夜明けの雨はミルク色~
この曲は10代の頃、なんなら中学生の時に書いたというから、やはり早熟な天才。帯には “魔女か! スーパー・レディか! 新感覚派・荒井由実 登場”と書かれてる。
このキャッチコピー書いた人、書き直したいだろうな。
YouTubeを見ていたら、こんな映像がアップされていた。
ワザとらしい靴先のファーストカットから、ユーミンにいって、タテ一列に並べられたキャラメル・ママへ。完全に魔女(スーパー・レディ)のバックバンドで “伴奏” 扱いなのに、文句も言わずに弾いてます。
奥からドラム林立夫、キーボード松任谷正隆、ベース細野晴臣、ギター鈴木茂。
当時のテレビ屋がサブでモニターを見ながら、撮りながら指を鳴らして自画自賛している声が聞こえてきそう。
この頃から20年くらい立った1995年前後、憂歌団がミュージック フェアでスタジオの奥にこんなふうに並べられ、1曲を1カメ&ドリーだけで撮られてたのを想い出した。ディレクターはCX音楽班でカット割りにはコダワリのあったF瀬。
今見てもタテ一列に並べられたバンドは、テレビ屋が好きな画だと思うが、僕は嫌い。
この頃は、ダレもが早熟。
キャラメル・ママも20代前半だったし、ユーミンを作家ではなくシンガーとして歌わせたディレクターの有賀さんも当時はまだ26歳くらい。
有賀さんと言えばユーミンのチリメン・ビブラートが嫌いで、唄うときにはビブラートを封印。オペラの声楽家の所にレッスンに行かせたりしていたと番組で語っていた。
26歳が20歳前の才能のある女の子の「個性」を自分の「好き嫌い」で潰してしまうという、なんとも傲慢な事をやってしまうというのも早熟な時代だから出来たことなのか・・・。
名曲ドキュメント MASTERTAPE「ひこうき雲」
この番組はスゴく面白かった。MASTERTAPEのマルチChに入ってる音の聴き分けなんて、ミュージシャンにとっては嫌な事を面白がってる変な番組。
こんなマニアックな番組はラジオにもあって、吉田拓郎がライブの時のコーラス・トラックだけを聴かせて「メチャクチャじゃねーか、バカヤロウ!」って爆笑しながら放送してた。ライブでは絶対にわからないけど、コーラスだけ抜き出しで聴いたら「音程は怪しいし、歌詞も噛んでて適当だし」もう1回聴いてみようとか言ったりして。
あれは罰ゲームみたいな感じで笑ったなぁ。
ちなみに、1972年で「雨」の曲といえば、当時の僕が聴いてたのは三善英史。
流行歌ド真ん中! 小学校3〜4年生にはテレビの歌番組が情報の全てで、まだユーミンをちゃんと聴いたことがなかったし、キャラメル・ママも存在すら知らなかった。
ユーミンの作品は「卒業写真」から入って、遡って聴いていったクチ。
曲はすごいと思ったけど「声」が全く好みではなかったので聴く機会は少なかったな。
1972年頃の男性ミュージシャンと言えば よしだたくろう。
吉田拓郎も結構「雨」にまつわる曲を唄っていて、
NHK朝ドラ「エール」でも流れてた
「ある雨の日の情景」よしだたくろう(1971年)は「結婚しようよ」のB面
ほかにも「雨」 よしだたくろう(1971年)
まだまだあって、
「たどりついたらいつも雨ふり」(1972年)
「冷たい雨が降っている」(1978年) 作詞 松本隆
「いつか夜の雨が」(1980年) 作詞 岡本おさみ
といった曲もありました。
オリンピックの無くなった雨続きの4連休、梅雨明けはまだ。