1周廻ってコダワリ目線

ある意味、逆にピンポン。

ラジオで聞いた「帰れない二人」の制作秘話。

51日続いた梅雨もようやく明けて。

 ちょっと季節外れだが、想い出しついでに名曲誕生について。

 

忌野清志郎がラジオで「帰れない二人」の元曲について、話しをしてたのを聞いたことがある。自伝の「GOTTA! 』で述べている内容ともほぼ一緒なので、間違いないんだろうと想う。

 

1973年9月21日にシングル・リリースされた曲だが、この当時、井上陽水忌野清志郎は事務所も同じでツアーも一緒に回っていた頃。

マネージャーはO田さんだったはず。

まだ、フォーク編成だった初期のRC時代で、三鷹にあった陽水のアパートに、よく遊びに行ったと言ってた。

 

当時、井上陽水24歳の忌野清志郎22歳。

ふたりの才能が正面からぶつかりあって、令和の時代にも色褪せずに唄い継がれる名曲が誕生した。

ある日遊びに行った特に陽水から「最近どんな曲作ってるの?」と訊かれて、清志郎が「指輪をはめたい」という曲をギターで弾き語った。じっと聴いていた陽水が、「いやー、実にいい曲だね」って言いながら「でも、いい曲だけど「指輪をはめたいのさ」っていう歌詞だと売れないと思うよ」って言うんだ。

「どんなコード進行なの?」って陽水が粘るから「指輪をはめたい」のコード進行を教えた。「指輪をはめたい」はGから半音ずつ下がっていくのをキーを変えてDから半音づつ下げることにした。

色々と曲をいじったりしながら、少しメロディも変えて、歌詞は陽水が1番を書き、「2番は清志郎が考えてきてよ」って言われて、Dから半音下げていった曲をテープに録ったかなんかで持ち帰って2番を清志郎が家で考えた。

書き上げた詞を電話で陽水に伝えたら「いいねぇ、キヨちゃんいいねぇ」とか言われて出来上がったという逸話を、所々「アッ違う」って訂正も入れながら語っていたのが印象的だった。

 

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この曲が大ヒットシングル「心もよう」のB面になり、日本人アーティスト初のミリオン・アルバム「氷の世界」に入ったことで、まだ無名で売れないで不遇でいる清志郎にとっては『氷の世界』からの印税は、彼をずいぶんと支えたという。

ジャケットには、A面もB面もほぼ同じ文字の大きさ。普通B面って小さく書かれてる事が多いのに。陽水もまだサングラスをかける前。

アルバムのジャケット写真の秘密

ラジオでは他にも「氷の世界」のアルバム・ジャケットの写真は、ツアー中に楽屋で撮ったもので、陽水が持ってるギターは清志郎のギターなんだそう。

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一度、取材を兼ねて自転車で立ち寄られた事があった。

サイクルユニフォームを着て、自転車に乗ったまま受付に来られてました。お亡くなりになってから、もう10年以上経ったんですね。

(200952 逝去)

  

 二人で唄う「帰れない二人」  ・・・・・・滲みます。


帰れない二人 / 井上陽水&忌野清志郎

 

♪ 思ったよりも夜露は冷たく
二人の声もふるえていました
Ah Ah Ah Ah Ah Ah
Ah Ah Ah Ah

「僕は君を」と言いかけた時
街の灯が消えました
もう星は帰ろうとしてる

帰れない二人を残して

 

♪ 街は静かに眠りを続けて

口ぐせのような夢を見ている
Ah Ah Ah Ah Ah Ah
Ah Ah Ah Ah

結んだ手と手のぬくもりだけが
とてもたしかに見えたのに
もう夢は急がされている

帰れない二人を残して

Ah Ah Ah Ah Ah Ah
Ah Ah Ah Ah
もう星は帰ろうとしてる

帰れない二人を残して