1周廻ってコダワリ目線

ある意味、逆にピンポン。

外食に目覚めたバイト時代

2021年が始まりました。でも目出度さもどこへやら、みんなで外食するのもままならない、不自由な事になっています。しばらく2人以上で楽しく外で食事をした記憶がありません。

知り合いの同世代の放送作家がMCを務める番組で、ちょうど高校生くらいにイタ飯が流行りだしましたよね~という話をしたのを聴いて、色々と当時のことを思い出した。

悪い癖でちょこっとググってみたりしたけど、もう40年近く前の事はなかなか残ってないものです。

大学のバイト時代に通ったアメリカ村

当時バイト先のCBSソニーアメリカ村を抜けて四ツ橋筋を渡った所にあったモーリ・グランドビル(現在は三共四ツ橋ビル)に入っていた。

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ちょうどアメリカ村NHKニュースで取り上げられ最先端な街的に扱われだしたけど、まだ市立南中学校がありBIG STEPの工事に入る前だった。

サウナと水風呂が大好きな清水湯も出火する前でごく普通の銭湯だったし、中学校の前には古書を扱う天牛書店があった。結構奥に長い大きな本屋で、レアな雑誌の古い号なども揃ってたので、バイト帰りによく買いに行った(天牛書店っていまでもあるのか?)

 

御堂筋から周防町通りに入った関電ビルの壁面に、アメリカ村の入口っぽく黒田征太郎さんが壁に大きな絵を描き、トンガッた人だけではなく普通の若者も遊びに来出した頃。

三角公園は今のような整備された公園ではなく、滑り台などがある土の地面むき出しの公園だった。(バイト中に工事をして整備された今のようになったと思う)

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公園の目の前の駄菓子屋の店先で焼かれてたタコ焼き屋が今は甲賀流になっている。その頃は甲賀流という名ではなく、焼いてるおっちゃんが千葉真一に似てるから、チバシンのおっちゃんの店という“雑い名前”で呼ばれてた。そうそう、からしマヨネーズのかかったタコ焼きを初めて食べたのはこの店だった。

今のように外食が気軽な時代でもなく、学生が外でご飯を食べるとなると選択肢は限られていて、うどん、丼、お好み焼き、マクドナルド、吉野家、眠眠くらいが関の山。喫茶店のカレーやハンバーグ、ナポリタンでも十分ご馳走でした。

 

バイトに行く前に私がアメリカ村の店で知ってたのは、倒産後に小さいSHOPで販売は続いていたVANと、中古盤屋KINGKONG、チバシンのおっちゃんの焼くタコ焼き屋、入ったことのないエルパソという程度。気軽に外食ではなく、気合を入れて喫茶店くらいが分相応だった。

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勉強もせず、バイト時代に覚えたこと。

そんな学生バイト達に社会人ののデスクの麗しき女性社員の人達からアメリカ村の美味しいお店をたくさん教えてもらった。

それまではオーダーするたびに「喜んで〜」の掛け声がする居酒屋か、「イーガーコーテル」と叫ばれる眠眠くらいしか知らない学生には眩しい世界。

1件目はエルパソの西側にあったスパゲッティ屋(名前は忘れた)。

それまではスパゲッティといえばナポリタンしか知らなかったのに、オイルベース、トマトベース、和風にクリームと種類の多さに驚き、ペペロンチーノ、バジリコ、ボンゴレカルボナーラと 初めて聞くワードに戸惑いながら、お姉さまの勧める“なすとベーコンのトマトソース”を注文。初めて食べた時の感動を今でも覚えてる。

バイト時代に覚えたのは、ギョウカイ用語とイタリアンのメニュー、カクテルの名前くらいか。

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ちょうどラジオで言ってた「イタ飯」という言葉が和食・中華・洋食に加わりだした頃で、スパゲッティ(当時はパスタなんて言わなかった)を巻いて食べてイキガッてた。

ムール貝とかが入ってたりすると美味しいかどうかわからないけど、雰囲気で美味しいとか言いながら食べてた。

 

エルパソを北に行くとVAN SHOPがあり、その隣の中西ビルの2Fにお洒落なカフェ風居酒屋「ROBATA(ロバータ)」も教えてもらった。

ネーミングこそ居酒屋風だけど、静かで照明は程よく暗くシャレ・オツなBGMが薄く流れ、気の利いたツマミのメニューがあり、店員は黒服がベースだけど値段はソコソコという店。ちょうどカフェバーが流行りだした頃で、カクテルも流行ったのでモスコミュール、ウォッカトニック、ソルティドック、ジンバックキール、レッドアイ、シャンディガフカンパリソーダカルーアミルクとか沢山覚えました。

このお店で同窓会を企画したりしたが、評判悪かった(反省)

そういう用途には不向きな店だった(汗)。

 

まだ自分で開拓する勇気も金もなかったので、ひたすら情報源はデスクの人達の口コミ情報。

食べログはおろか、なんちゃらウォーカーもmeetsもないし、プガジャ、L-magaに少し載ってるくらいの時代。

あの頃の方が初めて行くお店に対しての期待度が、今よりも全然高かったと思う。 いまは溢れる情報に振り回されてるから行ってもない店に「あそこ美味しくないみたいよ」とか言える時代。

前情報なくなんとなく閃きで「オッ!」と思って入った店が当たりだった時の満足感、いい年になっても嬉しい出来事。

 

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ほかにも、はり重・大宝寺のお昼だけカレーショップ・メニューが食べられる小さなお店で「ビーフワン(牛丼の卵とじ)」を教えてもらった。牛丼と言いながらほとんど他人丼だけど、大宝寺店の小さな店を仕切ってた割烹着のオバァちゃんが可愛くて値段も安かったのでよく行った。

 

あとは、欧風料理ビオラ。「デートに使えるよ」という魔法の言葉で、ここには夕食に連れて行ってもらった。糊の効いた真っ白いチェアシート、コックコートやコック帽もパリッとしていて、少し温められたお皿に綺麗に盛り付けられた料理。

それまでに行ったことのある円盤のような髪型のオバちゃんが仕切る自由軒や、相席当たり前の明治軒よりもっと正統派の西洋料理店といった佇まい。ちょっと値段は高かったけど、ピラフ、コロッケ、エビフライおいしかったな。デスクのお姉様の言う通りカミさんと一緒に再訪。

 

今やこの街には当時の面影はどこにもないけど、40年近く経っても、なすとベーコンのスパゲッティを食べるとバイト時代のアメリカ村のことを思い出す。

 

早くこんな話しながら外食したいものです。

 

 

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