45年前に発売された名曲2つ
2023年に入り24節気の立春・雨水を過ぎてもまだ寒い日がグズグズと続いてます。
長期予報通り今年は寒い冬だったようです。
2月23日の天皇誕生日も、まだ今ひとつ馴染めない。昭和のオッサンにとっては天皇誕生日は4月29日で覚えてたし、12月23日にようやく慣れたと思ったら今度は2月。
新しい天皇誕生日に変わる頃には寿命が尽きているような気がする今日この頃。
記憶に残るキャンディーズ、記録に残るピンク・レディー
人気絶頂だったキャンディーズが1977年の夏、日比谷野音でコンサート中に突然
「私たち9月に解散します、普通の女の子に戻りたいんです」と宣言。
当時は社会的に大騒ぎになった。
あの時代、よく事務所や周りの大人達が怒らずにちゃんと話を聞いてあげて引退に向けて動いてあげたと思う。昔も今も、売れたアーティストに親族が群がり喰い物にしていくという話を聞いたりしていたので、子供ながらにこの対応はスゴイなと思ってた。
76年にデビューしたピンクレディーがヒットチャートを席巻し、チャートや売上枚数はピンクレディー > キャンディーズとなっていたが、個人的に音楽的にはキャンディーズ > ピンクレディーだと思っていた。
ファン層も大学生辺りがキャンディーズ、小学生がピンクレディーだった。
そんな中で1978年2月に発売されたキャンディーズのラストシングル「微笑がえし」
歌詞の中に「春一番」「罠」「アン・ドゥ・トロワ」というヒットシングルのタイトルが入っていたり、振り付けでも「年下の男の子」「やさしい悪魔」「ハートのエースが出てこない」の印象に残る振りが取り入れられていて、いかにもラストシングルらしい遊びが散りばめられていた曲。この曲の作詞は阿木耀子。
いま聴いてもサビを3人が替わって歌っていてソロ・パートがなくユニゾンやコーラスで構成されてキャンディーズらしさが詰まったいい曲だと思う。
作曲家の穂口雄右氏のアイデアで、この曲のレコーディングは初見で行われたそうだ。
謎が解けた曲のタイトル
この時代、もう1曲気になる曲がある。山口百恵「プレイバック Part2」
まず、プレイバックの意味がレコーディング用語で、録音したものを再生するという意味で使われる言葉で、オーディオでも使ってたが、こんな専門的な言葉をアイドル曲のタイトルに使った上にPart2とか意味不明だった。
この曲で史上最年少の19歳でこの年(1978年)の『NHK紅白歌合戦』で紅組のトリを務めた。
この曲はNHKが歌詞の「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」と言い換えて歌わせたり、「勝手にしやがれ 出ていくんだろう」が沢田研二「勝手にしやがれ」にケンカを売ったのだとかが有名な話だがもっと面白い話があった。
たった1曲のために費やされた異常なほどの情熱と労力。
まず、タイトルはプロデューサーの酒井政利氏が「プレイバック」というタイトルで曲のイメージを
“ケロケロってテープの音が戻るような曲、あとは考えてください”
というムチャ振りされたスタッフが、苦し紛れに
“主人公が以前聞いた言葉がフィード・バックしてくる歌”
という企画にまとめ、阿木燿子に作詞を依頼。
その後、馬飼野康二と宇崎竜童に作曲を依頼した。
Part1は馬飼野康二、Part2が宇崎竜童が作曲し、シングルは宇崎版が採用されたが、
レコーディング前日に、まだ物足りないからと酒井氏は作り直しを依頼。
酒井氏のあまりのムチャ振りに阿木燿子が怒り心頭になって書いた一言が「馬鹿にしないでよ」というフレーズで、追い込まれてようやくひねり出した難産の賜物。
なんと一晩で書き直したのが「プレイバック Part2」だそうだ。
あの曲の女性が不機嫌なのはこういう経緯があったかららしい。
レコーディングも驚異的な突貫工事だったようで、この辺りの事が詳細に書かれている本が図書館で借りられる事がわかり予約中。
印象的なギターは矢島賢。ブレイク後のギターは一度聴いたら忘れられない名演奏。
「馬鹿にしないでよ」「坊やいったい何を教わって来たの」「私だって疲れるわ」…と、攻撃力溢れるフレーズが続くのは阿木さんから酒井氏への捨て台詞だと思えば作詞家らしい仕返しだ。
音楽にもテレビ・ラジオにもこれぐらいイカれたプロデューサーがゴロゴロいたようだけど、今はおとなしい人ばっかりになった気がする。
阿久悠を始め、作詞家の睨み合いにも似た作品のぶつかり合いが後世の残る作品を生み出していたんだろうと思う。
異常なまでのこだわりや情熱や労力、集中力など令和の時代には不要なのかもしれないが、こういうマグマのようなものが無くなってしまったから、つまらなくなったのかもしれない。
昭和歌謡を調べもしない社会学者たちがado「うっせぇわ」が配信チャート1位になり流行語大賞に選ばれたときに「若い女性が怒りをあらわにしてヒットした曲はコレが初!」なんてわかったようなことを言っていて笑ってしまった。
言い切るならもっと勉強せ〜よ〜。
2023年1月、小学校の修学旅行以来で行ってみた「二見ヶ浦」
行ってみたら覚えていたはずの現場の景色と全然違っていて驚いた。
浜から見ていた記憶だったけれど、こんなにに狭かった? と思うほど狭い境内から見ていたようだ。