NYでロックとジャズの融合、CD化第1号アルバム。
LPから新しいメディア「CD]に移行する時に、一番最初にCD化してリリースされたのが洋楽ではビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』 (邦楽では大瀧詠一『A LONG VACATION』)
オーディオ好きにとっては、特別の思いがあるミュージシャン。
『ニューヨーク52番街』はビリー・ジョエル通算6枚目のアルバムで、初の全米チャート1位を獲得。グラミー賞で最優秀アルバム賞と男性ポップ・ヴォーカルの2部門を受賞、プロデューサーはフィル・ラモーン。フィル・ラモーンが新しもの好きだったこともあってCD化1号になったとか、高音質にこだわるフィルだったからだとかいろんな説がある。
NYの街で、ロックにJAZZが混じった新しいサウンドの誕生。
アルバムタイトルはマンハッタンの52丁目にあったA&Rスタジオでレコーディングされたことが由来。ビートルズのアビーロードと同じライン。
原題は『52th Street』で、そのまま訳すと“52丁目”のハズで、52番街というなら“52th Avenue”。さすがに邦題をつける際、ビリー・ジョエルのイメージから“ニューヨーク”を付け加え、52丁目は52番街と言い換えることでカッコよくしたんだろう。映画のタイトルといい、昭和時代の邦題の付け方は上手い。
この有名なジャケット写真、撮影場所は まさに52th Streetにあったスタジオの入口前で、そこには薄汚れたイタリアン・バーがあったらしい、知らんけど。
TVドラマ「刑事コジャック」で描かれてたニューヨークがまさにこんな感じの薄汚れ具合で、凄くリアルだなぁと思ったしロックなイメージがカッコよかった。
現在の明石家さんまさんの自宅リヴィングのインテリアは、このジャケット参考にしたとテレビで言ってました。
ちなみに、ビリー・ジョエルがよくレコーディングしていた「POWER STATION STUDIO」は53thの10Ave.にある。昔は8Ave.を超えると本当に危ないよと言われて、歩いてなんてとても行けずスタジオの前までTAXIで乗り付けないといけなかった。
そういう意味ではロックな街だけど、NYのイメージはやはりJAZZ。
このアルバムでもブレッカー兄弟が参加してたりして、ロックだけではなくJAZZへのアプローチがあってこそのNY感がヒットの要因だった。
1曲目は「 Big Shot」。二日酔いの男のことを歌った曲。
イントロは、“「笑点」のテーマにインスパイアされた”という説も・・・、知らんけど。
そう言われると、そうにしか聴こえてきません。
Billy Joel - Big Shot (Official Video)
続いて2曲目「Honesty」何も言うことのない名曲。
サザン・オールスターズでいうと「いとしのエリー」的な曲だと思う。
Billy Joel - Honesty (Official Video)
昔ベース・マガジンのコラムで、ダグ・ステッグマイヤー(B)がこのアルバムで使ってるのはリッケンバッカーじゃないかと指摘したら、担当も音を聴いて「どうもそのようだ」と言ったとか、そんな記事を目にした記憶がある。1〜3曲目「 Big Shot」「Honesty」「My Life」はそうらしい。
ダグ・スティッグマイヤーの逸話としては、このアルバムではないけど、1作前の『The Stranger』に収録されてる「Movin' Out (Anthony's Song)」のアウトロに入ってる自動車の音は、彼の愛車だった60年代のコルベットの音を録ったものを使ったそうだ。
3曲目は私が大好きな 「My Life」。
コピーバンドを演ってる時、ピアノが弾ける女の子に弾いてもらったけど、クラシックにはないリズムを喰ってという事が理解してもらえず「譜面通りに弾いてる」と問答になって、全然上手くいかなかった想い出が・・・。
歌詞もいいですね。
♪ I don't care what you say anymore, this is my life
Go ahead with your own life, leave me alone
(君が何を言おうとも俺は気にしないから これは俺の人生だからね
君は君の人生を歩めばいいだろ 俺のことは放っといてくれ)
コンサートでは間奏で「バカヤロー」と叫ぶのがお決まり。初来日した時に覚えたみたいで、響きが気に入ったらしい(笑)ライヴ・アルバムでも「バカヤロー」の部分が消されてないのが素晴らしい!(4′19′′あたり)
初めてNYに行った1991年の年末「ここが52番街か」と思いながら5Ave.との角のCartier辺りでキョロキョロ。とにかくエネルギッシュで怖い街という印象。クラクションとパトカーのサイレンが絶え間なくずっと響いてるし、信号なんて守らず人は車をすり抜けながらガシガシ渡ってるし、まだ地下鉄は落書きだらけで、タイムズ・スクエアはいかがわしい店ばっかりだった。
探せば8mmビデオで撮った映像があるはず・・・。
2020年9月20日 今朝の1枚
本当は秋晴れの天気で聴きたかったところですが、今週は『Cool Struttin'』と並ぶ美脚ジャケット『This Is Pat Moran』
夭折の天才スコット・ラファロの「歌う」ベースラインを堪能!
女性ピアニスト パット・モランが無名時代のスコット・ラファロを起用し『Waltz For Debby』が録音された1961年6月を3年数ヶ月さかのぼる1957年11月にレコーディング。
個人的には、ベースのスコット・ラファロのプレイを聴くアルバムで、1曲目から生々しく指が弦を弾くさまは、まるで目の前で弾いてくれているように感じれ、特に3曲目「Onilisor」は、ベースソロのイントロから入り主メロも決め、インタープレイもリズムキープも完璧なドライヴ感&グルーヴ感 が素晴らしい。この時ラファロ若干21歳。
「基本的に自分のレコードは好きではない」と語っていたラファロが「例外」と言ったアルバムがこの作品だそう。
上品で適度なお色気が、古き良きアメリカの香り漂う秀逸なジャケット。
赤いヒールが印象的なアルバム・ジャケット。LPのサイズだともっとインパクトも強いだろうけど、残念ながらCD。この美脚がパット・モラン本人かどうかは知らんけど。
ジャケットに「A study in high fidelity sound」と書いてある。原音再生の探求という意味で、1957年=昭和32年なのに、いま聴いてもかなりの高音質。
ライナーノーツを読みながら、じっくり聴きたいアルバム。
ノスタル爺の話#5
「悲しい色やね」にまつわる想い出話
FBに上田正樹「悲しい色やね」が上がってた。
懐かしい、エエ曲、声がシブい、とか色々とコメントが寄せられていた。ちょうどギョウカイでバイトを始めた頃のヒット曲、曲にまつわる想い出が蘇ってきた。
昔はサンタナの『哀愁のヨーロッパ』みたいな唄い出しでパクリとか言われてたけど、アレンジは星勝だったのは発見。
タイトルを「悲しい色やねん」と最後に「ん」をつけて覚えてる人も多く、たかじんの「やっぱ好きやねん」から引っ張られてる人が多いんでしょう。
大阪が舞台の歌で、ネオンや大阪弁丸出しではなく、ようやく泥臭くない曲が出てきたと思った。ジャケット写真も、モノクロームで哀愁がある感じで泥臭さを感じさせないように努力したあとが見える。
ただ、テレビで唄うときのスーツ姿も、カッコいいのか悪いのか? 個人的には私立中学校の社会の先生みたいに見えた。
当時からクドイ唄い方だったが、10年くらい前にTVで唄ってたのを聴いたけど、♪イエスマイ・ラ〜ブとかプリーズ プリ〜〜ズとか訳がわからないフレーズ入れまくり崩しまくりで原曲の面影ナシ。クセが強すぎて胸焼けした。
●オリジナル
●クセが強いのを聴きたい方はコチラ
「悲しい色やね」にまつわる想い出2つ
まず1つ目の うどんちりの名店“にし家本店”での想い出から。
’83年のCBSソニー大阪営業所の忘年会は、このお店の2Fの大広間で開催された。初めて参加するギョウカイの忘年会は、それは それは騒がしく、仕切る宣伝部・社員の大声と、それを野次る営業やエライさんの声がガンガン響き、気の弱い我らバイトは隅っこでジッとしてた。
野次に混じって名物うどんちり用のウドンが空を飛びはじめ司会に命中した辺りから騒ぎは一層大きくなり、大広間は修学旅行のマクラ投げのように『ウドン投げ』会場と化していった。そんな飛び交ったうどん玉を、あとで美味しくいただくわけもなく、それは悲惨な光景だった。
そんな騒ぎの中、ゲストとして登場したのが「悲しい色やね」を大ヒットさせていた上田正樹。会場の雰囲気を見て、ひるむ事なくすぐに同じテンションで参加してた。
15分くらいでマイクを持って一言挨拶をしたら、すぐに飛び出していった。「いまから東京に行ってきま〜す」とか言って出て行ったと思う。
ちなみに、上田正樹が使ったマイクは、あまりにオイニーがツイキーなため、一緒に使うのを拒絶されたという伝説もある。
この頃になるとウドン投げ会場も落ち着きを取り戻し、大人たちは2次会の準備に入り次々と会場から消えていった。バイトたちはようやく開放されると安堵しながら、マイクや機材の片付けなどを手伝っていたら、食器を下げに来たお店の人が血相を変えて怒り出し、いますぐ責任者を呼び戻すように言われた。
まだ外にいた幹事の社員を呼び戻すと、警察がどうとか、損害賠償がどうしたとか、ものすごい形相で店の人が怒っていて、幹事もペコペコ頭を下げて最後は土下座するくらいの謝り方をしていた。
怒ってる理由は一目瞭然で、ウドン投げ会場は、アチコチで投げあったウドンが畳にビッチリ刷り込まれ、雑巾で拭いたくらいでは全く取れず、大広間の畳を全部入れ替えて壁に残ったウドンのあとも補修させられたらしい。一番偉い所長も野次りながら何玉もウドンを投げてたから自業自得でしょう。数十万の弁償金を払って永久に出入り禁止になったと聞いた。
以来「悲しい色やね」を聴くと、上田正樹→ウドン投げ→土下座謝罪が結びついてしまった。
2つ目の想い出は、作詞家:康珍化さん。
康さんとは何度か仕事をさせてもらう中で、本当に色々とお世話になった。詳しくは書けない話が多いけど、レコーディングで行ったLAでの事や、憂歌団のプロデュースの話。大変だったフジテレビLOVE LOVEが始まる時の「全部だきしめて」の制作過程の話とか・・・。
この曲は実際に見た風景ではなく地図を見て想像で書いたんだと直接聞いたり、詞へのこだわりとかテクニック的なこととか色んな話をしてもらった。
康さんサイドから辿るこの曲の想い出は音楽的だけど、本人サイドから辿った想い出は、ウドンがこびり付いた畳と野次。
本当はもっと好きになれた曲だと思うけど、なぜか積極的には聴かない曲になってしまった。
9月15日、ビル・エヴァンスの命日。
ビル・エヴァンスが今年、没後40年を迎える。
ビル・エヴァンスこと ウィリアム・ジョン・エヴァンス(William John Evans)は、アメリカニュージャージー州のプレインフィールド生まれ。1980年9月15日没、51歳でした。。
幼少でクラシックを学び、10代になってからジャズに興味を持ちはじめ、地元のアマバンドでピアノを演奏するようになっていた。大学では音楽教育を専攻、ニューヨークに出て音楽活動を開始、リバーサイド・レコードにスカウトされた。
リバーサイド・レコードで1956年に録音した27歳にして初のリーダー・アルバムが『New Jazz Conceptions』
新鮮で個性的なピアノ プレイが、既に完成されていて「Waltz For Debby」も収録されている。モード奏法の開祖とも言われる『Kind Of Blue』より3年も早く新しいジャズを発表していた。ただ、発売当初はモダン・ジャズ全盛期だというのに500枚しか売れなかったそうである。
そののちインタープレイによる新しいジャズの概念を取り入れた名盤『Waltz For Debby』を発表。
毎年JAZZで一番売れたアルバムは、この数十年ずっとこのアルバムが1位。
叙情美と耽美的なメロディ、幻想的な繊細で美しいリリカルなピアノは唯一無二。商業主義には擦り寄らず、ピアノの求道者的な活動を続けてたが、黒人が主流のジャズ界においては異端の白人であり、心の拠り所を薬物に頼ったのかヘロインやコカインを終生常用し続けた。
エヴァンス同様、根強い人気のチェット・ベイカー。
共通点が少なそうな二人だが、二人とも白人で麻薬に冒されていたが死の直前ま現役でプレイしたことや、その生き様が映画化されたり、美男子だったのに麻薬の影響で若くして老人のような風貌になったりと意外と共通点も多い。
そんな二人が共演したアルバムはベイカーの名盤「チェット」。
映画は2本とも大阪で上映されていたが、チェットの方はコロナ禍での上映だったので観に行けなかった(残念)
Time Remembered: Life & Music of Bill Evans [DVD]
- アーティスト:Dr. Billy Taylor,Jon Hendricks,Joe Labarbera,Bill Evans
- 発売日: 2019/09/13
- メディア: DVD
命日に今年は『Quintessence』を聴くことにした。
個人的には『Waltz For Debby』が名盤たる所以にスコット・ラファロのベースが大きく関わっていると思っている。エヴァンスの硬質でガラス細工のようなプレイにぶつける、よく響いて通るベースの音とゴリゴリっとした音色があっての名盤だと思う。
ラファロの死後たくさんのベーシストと組んでアルバムを出しているが、インタープレイの相手として物足りない人が多かった。そりゃ、ラファロ的なベーシストってなかなか居ないだろうからしょうがないとは思うが。
そんな中でこのアルバム『Quintessence』はレイ・ブラウンがラファロばりのゴリゴリっとしたベースを聴かせてくれていて、妙技を存分に味わえるベース好きには納得の1枚だ。
決して派手ではないがトリオではなく、名うてのミュージシャンが主張しすぎることもなく落ち着いたプレイを聴かせてくれる。
2020年9月6日 今朝の1枚
猛烈な台風10号が九州に接近している朝。
昨日の夜は遠くで雷が鳴り、今朝は風に混じって電車の音が聴こえてきます。
起きたてに聴く音が、気持ちいいことに気づく。
最近、起きたてに聴く音が気持ちいいというか良く聴こえるんです。気のせいかな?と思ったりしてましたが、やはり夜よりも朝のほうが断然良く聴こえます。
朝イチに聴く音楽も音量をあげなくてもディティールまで聴こえ、なぜなのかをツラツラと考えるに、寝ている間に耳を休めているからに違いないと思い始めました。
今朝の1枚はダンサブルなブラジリアン・フュージョンなこの1枚。
TANIA MARIA『COME WITH ME』
スキャット好きには たまらないアルバムです(1982年の作品)。
スキャットとは違う、唯一無二のヴォーカル。
タニア・マリアはブラジル出身のシンガー・ソング・ライターでピアニスト。タニアのピアノは弾くというよりも鍵盤を叩きつけるようなプレイもありピアノの扱いが打楽器に近い扱いの時も多い。
彼女を知ったのは、このタイトル曲がクラブでよくかかるクラブ・クラシック的な曲だったから。一聴して大好きになった。
ウィスキーでいうとアイラモルトのようなクセの強さにハマる感じと言えばわかってもらえるか。
彼女のヴォーカルはスキャット風だが、本人曰く「私のヴォーカルはジャズのスキャットと違う」というように、フローラ・プリムのように魂の叫びというか楽器のように唄ってるというか、なんとも不思議なヴォーカルで一聴してタニアだとわかる。
『Nêga』という曲の中ではコンガを指で擦って出す「キュッ」っというような音を擬声していて、これはスキャットとはまるで違う楽器音。
今朝は空を見てたらタイトル曲の『COME WITH ME』を聴きたくなりました。キャッチーなメロディと独特のグルーブ感が、今朝の吹く風に体を預けて揺れる感覚のように思えた。
ピアノとユニゾンする雄叫びと、チョッパー・ベースとタイトなドラム&パーカッションが繰り出すグルーブが気持ちいい。
YOUTUBEにあったライブ映像。
Tania Maria - Come with me (live)
発売されてるライブアルバム。