1周廻ってコダワリ目線

ある意味、逆にピンポン。

メディアの隆盛

映画全盛時代から衰退傾向にあった1960年代後半、各局で毎日GP帯に映画が放送されていた。テレビではドラマ以外にも音楽、コメディ、クイズ、アニメ、紀行,ソフトなお色気番組など沢山のジャンルを見ることができ、スターの日常など素顔が見れる番組などもあって一気にお茶の間の王者に君臨した。

番組だけではなく、CMの15秒にも夢が詰まっていて、商品と供に出演者やCMソングまでが話題になった。

流行のキッカケは、テレビからという時代。

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イメージ写真)

新しい電気製品好きだった親父がカラーテレビを買ったのが幼稚園の頃だったと思う。もちろん真空管のカラーテレビ。画面が点くまでの微妙な時間が待ち遠しかった。

感動したのは今まで白黒で観ていたアニメがカラーになった事。リボンの騎士ジャングル大帝、ひょっとしたらトムとジェリーだったかもしれない。

アポロ11号の着陸も夜中に起こされて生で観てたし、浅間山荘事件も風邪で休んでた時に1日中観ていた。

そのあと、発売直後のβマックス1号機を親父が買ってきて、録画ができようになってすごい時代になったなと驚いた。

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最初に観たテレビ番組が何だったのかはわからないけど、すでに幼稚園では先生に向かってガチョ~ンとかましてたので、日曜の18:30の「シャボン玉ホリデーは幼児の頃から夕飯を食べながら観ていたはず。番組内で演奏されいた音楽は、子供心にもカッコいいというのはわかってた気がする。


50年前の音楽ショー「シャボン玉ホリデー」

シャボン玉ホリデー」は、いま観てもテレビがエンタメの王者となっていく礎のような番組で、提供の処理一つとってもインテリジェンスを感じさせるけど「およびでない?こりゃまた失礼いたしました」や「ガチョ~ン」というギャグ要素も入ってるし、何より音楽がイカシテる。この頃のJAZZって普通にヒット曲っぽく街中に流れてたと思うし、ウチのような曾祖母から幼稚園児まで居た4世代家族が観ても皆が楽しめた番組。

幼稚園児がブルー・ライト・ヨコハマとスター・ダストを鼻唄で唄うのが昭和40年代。

いま好きな音楽は、この時期に養われたんだと思うし、個人的にはいい時代に育ったんだと思う。

昭和・平成はテレビの時代。令和はスマホ? それとも・・・

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いま1歳になる孫を見ていると、お母さんといっしょはテレビで見てるけど、息子夫婦はスマホで幼児向けの歌を聴かせたり、NiziUを聴くと手足をバタつかせるのが面白くて聴かせてるので、テレビではなくスマホが入口になるんだろうと思う。

テレビよりもYouTube、映画よりもNETFLIXボードゲームよりもスマホゲームという選択になるんだろうな。

iTunesに数万曲溜まってる中から、色々と話をしながら聴かせていくのを楽しみにしようと思ってる。(嫌がられるかな~)

 

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想い出の味 その3

大学時代は「外食に目覚めたバイト時代」で書いたアメリカ村で体験した大人の味が大きくて、他にはカミさんとよく通った京都・永観堂の入り口横にあった湯豆腐屋さん(名前を忘れた)。湯豆腐もおいしかったが生麩田楽が気に入って、今では家でも作るほど。このお店は銀閣寺の近くに引っ越したと聞いた。

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法善寺横丁のお好み焼き屋「三平」にもよく行った。大火で焼ける前の鉄板前横一列のカウンターで、混んでるときは表で待って入った。頼むのは決まって“すじ・イモ・キムチ”焼と”イカ・しそ・チーズ”焼で、たまには餅を入れたりしてた。

いわゆる広島風の焼き方だったので、目の前でひっくり返すパフォーマンスも大胆。綺麗なお姉ちゃん二人とかで来てると、肘の高さくらいまで積み上げた具材をソリャ~と言いながら豪快に返して拍手してもらってた楽しい店だった。

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火事のあと新しくなった三平にも行ったけど、普通のお好み焼き屋さんになった感じがした(昼に行ったからかもしれない)。

社会人になって、全国に広がった想い出の味。

社会人になって全国に出張に行くようになり、その中でも想い出の味は北海道 札幌・狸小路の地下街にあったラーメン「起平」。ここの味噌ラーメンは赤味噌味で、未だにここの味噌ラーメン以上にハマったのは無い。赤味噌の渋み、酸味、塩味、辛味が一体になった味噌汁とは全く違うもっと油系の濃い味噌味。

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教えてあげたミュージシャンにも好評で、キャンペーンやイベントで行くたびに訪店。ミュージシャン仲間にもここの赤味噌ラーメン好きの輪が広がった。

今は閉店されていて、親戚があとを継いだお店ももうないので正月休みに当時の記憶をもとに味噌ダレ作りに挑戦した。

八丁味噌赤味噌白味噌(雑煮味噌)甜麺醤、コチ醤、豆板醤、オイスターソース、酒、醤油、味醂etcで試作中。まだまだ試作を続けないといけなさそうだが、結構近い味まで行けそうな予感。色々と試してみようと思う。

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名古屋の名駅南の交差点にある蕎麦屋「満留賀(まるか)」の冷やしたぬき(蕎麦)とカツ丼。安くて美味しい名店でした。

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テレビも音楽もかかってない店内。客のそばを啜る音と丼を洗う音くらいしか聞こえない静かな店内だった。

何の変哲もない冷やしたぬきだけど、出汁が美味しいのと生蕎麦は持ち帰りも可だったのでよく買って帰った。少し小さめのカツ丼と一緒に頼んでた。味にもまして凄かったのが、このお店のカウンターの中にいたオバサン。コの字のカウンターだけのお店で、お途切れなく入れ替わるお客さんに対して、全くメモもとらずに注文内容、順番を間違えなく完璧に覚えていて、いつ行っても蕎麦もだけど奥さんの仕事ぶりに見とれてた。配膳の合間に会計もこなしてしまうあの記憶力はどうやったら養えるのか一度聞いてみたい。

ちなみに冷やしたぬきは300円、カツ丼も400円くらいだった。

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広島はお好み村と流川の飲み屋街。お好み村は「八昌」「八戒」が有名で、ちょっと慣れてきてお好み村以外の「みっちゃん」に連れて行ってもらったり。

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(初めて行ったお好み村は、まだビルになってなくてこんな感じ)

広島といえば、流川のとあるバーで女の子が二人で飲んでたので、声をかけたら自分を指差しながら「ワシ?」と応えられ、謝って退散したこともあった。広島では普通らしいけど「ワシ?」には驚いた。

 

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九州は福岡の料亭「稚加榮」。まだ明太子は「ふくや」くらいしかなかった時代に「お出汁の効いた料亭の作る明太子があるよ」と教えてもらい、出張に行く度に料亭横の販売所に寄っては買って帰ってた。そのうちに空港などでも売るようになって、いまや各地で販売されている。辛さは程々で、旨味の強い明太子なのでつまみでも美味しい。

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有名な生簀カウンターで食事をしたのは2年前。もう数回再訪するくらいお気に入り。

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想い出の店も閉店・移転してる店も多く、代替わりをしてたりもするので、また新しいお店を見つけよう。

 

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想い出の味 その2

小学校時代の想い出の味は、曾祖母さんが火鉢で作ってくれたおやつ。

仏壇にお供えしたご飯を火鉢でカリカリに焼いて砂糖醤油をかけた甘辛い味のパラパラおかき。冬になると火鉢の前で作ってもらうのを待ってた。

練炭は火鉢に、豆炭はあんかにと、昔はいろんな種類の炭を使ってた。

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ほかには母と一緒に作ったカスタードクリーム。卵と砂糖と牛乳と薄力粉で作れるので子供でも簡単に作れて美味しいのでよく作った。パンに塗ってムシャムシャ食べた。
苦手な想い出は祖母のリンゴのスライスが入ったポテトサラダ、コレはどうしてもリンゴの味が嫌いだった。この辺りからリンゴ入れなくていいのに・・・と、料理の引き算を覚えたかもしれない。

ちなみに今は少し厚切りのロースハムを入れたポテサラが好み。お店で食べてすごく美味しかったので速攻でパクった。

 

高校生の時はお金もなかったので味よりもコスパ

小ロシアとチェリオが最安の満腹飯、多分100円で済んだ。

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学食で中華そばにキツネをトッピングしたのをよく食べた。

学食の外にあった自動販売機でDr.ペッパーを初体験、未だによくわからない飲み物。

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スガキヤのラーメンは、味よりも悪戯のために食べに行ってた。

学校帰りにジャスコスガキヤのとんこつラーメンも懐かしい。なぜか先割れスプーンがレンゲ代わり。味は和風豚骨とかいうネーミングを付けてるけど、値段相応の感じ。

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この店に行く目的は別にあって、ラーメンはちゃっちゃと啜って、食べ終わる頃にそ~っとテーブルに置いてある胡椒の中蓋をユルユルにしておいて店を出る。僕らの後に席について食べるやつが胡椒をかけようとしたら中蓋が外れてウワァ~っという悲鳴があがるのを通路から笑って見てた悪ガキ時代。子連れの人が座ったときなどは、忘れ物を取りに行くふりをしてユルユルにしたのをもとに戻したりして、あくまでもターゲットは学生。たまにユルユル返しで、俺らがやられたこともあった。アホな遊びをやってた。

 

ハンバーガーといえばドムドムしかなかったところに遂にマクドナルドが開店! Big Macも高校時代に初めて食べた。

マックシェイクはあべの近鉄の1Fにあったマクドナルドで飲んだ、というより吸った。ドロドロが濃くて思いっきり吸わないと口にシェイクが入ってこなかった。

この時以来たぶんシェイクは二度と吸って(飲んで)ない。

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ケンタッキー・フライドチキンもご馳走の部類。

友達は買う時に「カシワ2つ」と言ってお店の人に爆笑されてた。

ビスケットと言われる謎のパンもこの時に知った。f:id:harada0205:20210110113947p:plain f:id:harada0205:20210110113937j:plain

高校時代はファストフード文化に触れ、ようやく駄菓子屋から卒業。

遠目にメニューを見ながら、どうやって頼んでいいのかドキドキしてたのが懐かしい。

初めて海外に行った時もこんな感じだったけど、初マックや初ケンタの時のほうがチョチョ舞ってたと思う。

 

 

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想い出の味 その1

小学校時代の想い出の味は、曾祖母さんが火鉢で作ってくれたおやつ。

仏壇にお供えしたご飯を火鉢でカリカリに焼いて砂糖醤油をかけた甘辛い味のパラパラおかき。冬になると火鉢の前で作ってもらうのを待ってた。

練炭は火鉢に、豆炭はあんかにと、昔はいろんな種類の炭を使ってた。

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ほかには母と一緒に作ったカスタードクリーム。卵と砂糖と牛乳と薄力粉で作れるので子供でも簡単に作れて美味しいのでよく作った。パンに塗ってムシャムシャ食べた。
苦手な想い出は祖母のリンゴのスライスが入ったポテトサラダ、コレはどうしてもリンゴの味が嫌いだった。この辺りからリンゴ入れなくていいのに・・・と、料理の引き算を覚えたかもしれない。

ちなみに今は少し厚切りのロースハムを入れたポテサラが好み。お店で食べてすごく美味しかったので速攻でパクった。

 

高校生の時はお金もなかったので味よりもコスパ

小ロシアとチェリオが最安の満腹飯、多分100円で済んだ。

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学食で中華そばにキツネをトッピングしたのをよく食べた。

学食の外にあった自動販売機でDr.ペッパーを初体験、未だによくわからない飲み物。

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スガキヤのラーメンは、味よりも悪戯のために食べに行ってた。

学校帰りにジャスコスガキヤのとんこつラーメンも懐かしい。なぜか先割れスプーンがレンゲ代わり。

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食べ終わる頃にそ~っと胡椒の中蓋をユルユルにしておいて、僕らの後に食べるやつが胡椒をかけようとしたら中蓋が外れてウワァ~っという悲鳴があがるのを通路から笑って見てた悪ガキ時代。

 

ドムドムしかなかった地元にマクドナルドが開店、Big Macも高校時代に初めて食べた。マックシェイクはあべの近鉄の1Fにあったマクドナルドで飲んだ、というより吸った。ドロドロが濃くて思いっきり吸わないと口にシェイクが入ってこなかった。この時以来たぶん二度と吸って(飲んで)ない。
ケンタッキー・フライドチキンもご馳走の部類。ビスケットと言われる謎のパンもこの時に知った。

 

2021年1月10日 今日の1枚

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2021年、今年の初縁は寂しい十日戎になりました。

コロナ禍が当たり前の用語になりましたが、去年の春まで「禍」なんていう言葉を使ったことはなかった。

「禍」は「か」と読み「災い」や「災難」「不幸なできごと」を意味する言葉だけど、最初は読み方もわからず「渦(うず)」? とか適当に、雰囲気でわかったような顔して誤魔化してた。

まだまだ「禍」をたくさん見せられそうな年になりそうですが、耳の方は少しでもポジティブな音を聴きたいものです。

新しい船出に、相応しいアルバム。

昨年末に珍しいグレート・コンジャンクションを迎え、時代が風の時代に移ったと言われ、籠る事を推奨されるような状況なので、iTunesに貯め込んだアルバムの中から心機一転を告げるような1枚を探してみた。

曲調が明るめのものや、音圧が高く無理から元気になりそうなのとか、色々と候補もあったけど結局、選んだのは

Art Blakey & The Jazz Messengers『Moanin'』 1958年10月30日

モーニン+2

モーニン+2

 

このジャケットは決して好きではないけど、1曲めの「Moanin'」の印象的なフレーズが実にキャッチーで、新しい勢いというか覇氣を感じる。鼻歌で歌えるようなJAZZのフレーズって、なかなか無いと思う。

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曲が進み「Blues March」ではアート・ブレイキーのドラミングがイントロからフィーチャーされ、いい事に向かっていくマーチっぽく聴けるきがして。

この曲がこの1枚にする決め手になった。


Art Blakey & the Jazz Messengers - Blues March

 

 

 

窓から見える青空を見ながら、ちょっと大きめの音で聴くアルバム「Moanin'」で少しでも気分を明るくしてみては。

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