2022年 正月に聴いたアルバム
2022年が明けました。
元日から孫と遊び・食事をして楽しく過ごし、いよいよ来年は年男。
色々なものの“終い支度”を始め出そうという年になってきました。
年賀状、身の廻りの衣服や本、CDやレコード ビデオ、DVDなどを減らしてミニマムに。車も小さく安全装備の充実したのに乗り換えようとか色々と考え始めた。
悩ましいのはお墓の終い方とタイミング、こんな話を年末に話し始めた。
今年の正月は、テレビで見る番組がほとんど無かった。
年をとったからなのか、年末年始あまりにもテレビがつまらなく思え、どのチャンネルに合わせても見たい番組に出逢えず。
こんな番組しか作らないのか、作れないのか。若い層とやらに寄り添ってととか言ってるが、すり寄っても“狙ったその層”はテレビを見ていないらしいじゃないか。
自分では分かってるつもりが、コチラの見てる感性が老いぼれてきていて、ついていけてないのかとも思ったりして、かなりブルーな気分でチャンネルを替えていたが諦めてPCの前へ移動した。
Netflixで「浅草キッド」でも見ようかな? と思いながらYouTubeを見ていたら、偶然このビデオクリップに出逢えた。
ビデオクリップとCDは曲順が違うが、このビデオクリップが演奏順だと思う。
CDはあえて曲順を入れ替えたのではないだろうか。
Chet Baker 晩年1985年のアルバム
シワ深いので老人のようだが、Chet Bakerこの時55歳。
デビュー当時、唄声はメロウで物憂げ、堀の深いルックスも相まって“ジャズ界のジェームズ・ディーン”と称されたが、この時代のジャズ ミュージシャンによくある麻薬に溺れ、断つことが出来ず心身ともにボロボロに薬に蝕まれ、年齢よりも随分と老けたルックスになってしまった。
時代背景も麻薬の効能として、よりクリエイティブな創作力やセンスも磨かれるというのが信じられていたから皆んなこぞって溺れていったのだ。
このビデオクリップは「Candy」の良く言えば退廃的で味わい深いボーカルと言うのだろうが、少しヨタリ気味のボーカルで始まりピアノソロが入ってトランペットのソロに続いていく。
早く激しくほとばしり出る即興演奏をする、ほとんどどのビバップのミュージシャンと違い、Chet Bakerは叙情的なトランペット・サウンドで有名になり、彼の魅力はミニマルに宿る力強さ。
この辺りは尊敬するマイルス・デイビスのように音数ではなく、よりすぐりの数少ない音符で表現する手法、それでいてメロディアスな奏法。
平穏で優しくて、流れるようなペットの音はとても心地良い。
短いベースソロのあとボーカルに戻るが、この時の唄声はヨレもなく若々しく聴こえエンディング前にはスキャットに移っていく。
このスキャットが楽器を奏でているようにも聴こえ、まるでボーカルでトランペットのアドリブを吹いてるかのようにも聴こえる。
JAZZ評論家は後期の Chet Bakerのアルバムにはロクなものはないと言うが・・・
評論家の方たちには申し訳ないが、この動画を見る限り凄くいいアルバムだと思った。
インタビューで日本に行ったことを楽しそうに喋ってる? 英語を聞き取れないので雰囲気でそんな感じに思った。
このアルバムはスウェーデンのレーベル『Sonet』の図書室で録音されたもので、フランス人のミシェル・グライエがピアノ、ベルギー人のジャン=ルイ・ラシンフォッセがベース。
図書室と言われなければ、誰かの家で録ったのかとさえ思えるような室内。音も非常に綺麗に取れている。
ベースはアコースティックではなく、いわゆるサイレント・ベース(エレキベース)が使われているようで、個人的にはドラムレスのトリオ・アルバムにはとても相性がいいように思えた。
Chet Bakerのヨーロッパでの晩年はサイドメンにも恵まれ、とても幸なものだったと聞く。
Chet Bakerには数々の名盤がある。
Chet Baker Sings 1954年
Chet Baker Sings and Plays 1955年
Chet Baker&Crew 1957年
It Could Happen to You 1958年
ヨーロッパに渡ってからも
Someday My Prince Will Come 1983年
Stan Getz &Chet Baker:The Stockholm Concerts 1983年
Diane 1985年
などを聴いてきたが、このアルバムは持っていなかったし知らなかった。
37年前の少しレアな映像作品に巡り合わせてくれたYouTubeに感謝した正月だった。